December 2011
音として聞けないと、語学学習の効果が悪い
人気ブログ投票にぽちっとお願いします。 今週末、KAZY YOSHIMURA主催のラングエージエクスチェンジSKYPE GROUPに皆さん、挑戦されてはいかがでしょうか?こちらからどうぞ! TIME: JAPAN TIME DEC 18TH (SUN) NOON to 2PM US EASTERN TIME DEC 17TH (SAT) 10PM to MIDNIGHT http://www.doodle.com/skt9a2mc8ctmdg2v それから、先週、ドイツのKさんとの英語喉SKYPE講座をまとめてみました。許可をいただきましたので、紹介します(できている人がたくさんいるのだ、、、ということが伝わると、他の人にも役立つだろう、、、と許可していただき、ありがとうございました)。 - YouTube http://www.youtube.com まず聞けるということが大切だ、、、というような話もしました。一緒にドイツ語の音源を聞きましたが、私もKさんも、はっきり聞こえましたよ。聞こえたら勉強がしやすい。聞こえないと、勉強が無理なのじゃないかと思います。だから、長いあいだ語彙を覚えたり文法を勉強しても、喋れない、聞けないということになるのです。 さて、 昨日は剣道の練習で、剣道の先生・先輩が5人も集まっての稽古だったので、稽古的には最高の日だった。教えてもらうことは二つあるのだが、ひとつは作法の点を指摘してもらう、、、しかし、不思議なのだが、一度指摘してしまうと、あれ?みんなやってたの?って感じで、その時点から見え出す。 見えないものが見え出す、、、でも、それはずっと前からあったんでしょうね。 昨日は、黙想する場所に向かう際の防具の運び方を教わったのです。ちゃんとまとめて運ぶのです。やっぱり機能的だし、優雅です。 中学高校とやっていたけど、田舎で適当にやっている剣道というのがあると思う。 私が今、教わっているのは、たぶん、大学レベル以上の剣道で、本当に剣道を愛する人達が、稽古のときに大切にしていることなのじゃないか、、、みたいな気がします。 たまには、指摘されなくても、見て学ぼうと思っているのだが、コテをはずすときに、先生がたは全員が(おもわず「ぜいいん」とタイプして、漢字変換が出きないことに気づく、、、「ぜいいん」は広島弁か?いや、そう言ったらいいやすいということだろう。)、左手からはずしている。 技術的には、ある指摘をしてもらったのだが、私の場合、地稽古のとき、押し合い(「つばぜりあい」という)みたいな感じになってしまうことが多いと指摘されて、目からうろこが落ちた。 そういえば、他の先生を見ていると(私のほうが年が、先生によって10歳ぐらい上なので、先生と書くのがやや照れる)、そういえば、2台の新幹線が駅ですれ違うときのように、びゅ~~~んと通過している。 私の場合は、面とせめても、相手の前にとどまってしい、いつも、つばぜり合いになってしまっている。 そのことが、一度、見え出すと、見えなかったことが分からないぐらいだ。 まるで英語喉で発音と聞き取りができだすと、前の段階に戻れないのに似ている。 なぜ、先生たちのように、前に出たあと、そのまま突進しないかというと、結局、しっかり腰あたりから前に出ていないからだろう。 そして、なぜ、そうなるかというと、怖いという恐れがある。また、相手との間を遠く感じてしまい、届かないと思いながら、打っている。 腰から行く、、、というのが基本なのだが、それができていないのだ。 英語発音は喉だ、、、それができていないと、何をやってもダメなのだが、それと全く同じだ。 英語喉の紹介文を書いていただいた苅谷先生が「、、、自分の発音がどれくらい改善されたか、試してみたくて仕方がなくなるほど、違ってくる過程が自分でわかってしまう練習なのだ(英語喉4ページ)」と英語喉の練習を描写していただいている。 私は、剣道でも同じで、家でも思わず竹刀を持って練習してしまう。特に、先生の一人に教えてもらった(またしても、先生と呼ぶのは、照れるのだが)、踏み込みの練習を思わずやってしまうのだ。 試してみたくて仕方がないからだ(中学校や高校のときの数学の勉強の逆だ。試験が近づいていても、まったくやる気がしなかった。) ちょっと脱線。 よく英語教育を語る大学の先生で、なぜ日本人が英語ができないのか?なんて言説に接して、「学校で英語のクラスは一週間に数時間、、、一年でX時間、、、それでは絶対数がないので、できないのが当たり前だ」とおっしゃる人がいる。授業数を増やせと言っているのではなくて、それはしょうがないという方向だ。鬼の首をとったように、このことを指摘するのである。 しかし、なぜ日本人以外のノンネイティブが、ある程度英語を勉強していれば、普通に英語ができるようになるのかが説明できない。ここが、通じあえない点なのだが、そういうことを言う先生は、英語が完璧に近いレベルで、できないから、いかに、日本人以外のノンネイティブが英語ができているかさえ気づくことができない。なぜなら、中国人が喋っているときに、なまりのほうに気をとられてしまい、彼等が実はネイティブの英語が聞こえているのだということに気づかないのである(私自身気づかなかった、、、)。 私が今剣道で感じているのと同じように、英語喉で成功すれば、試してみたくてたまらなくなるので、授業の外でも英語に触れたくなる。AETの先生との交流もしたくなるし、SKYPEなどでも英語を喋ってみたくなる、、、そんな感じで、日本人も授業時間は限られていても英語ができるようになるのだ。 さてと、、、、 気づいてみると、聞こえ始めるのだが(前は聞けなかった)、先生がたの剣道を見ていると、どす~んと言う、踏み込みの音が、聞こえる、聞こえる。 それは右足が床をたたく音だ。しかし、その音の同時に起こっているのが、左足のキックだ。 このことを基本として教えてもらっていらい、私の剣道に関する感覚が変わってしまった。 さらに、ものすごくびっくりしたのは、基本に忠実にまっすぐ踏み込んでいると自然と、防御もできるということだ。 あと、相手がちょこちょこ、惑わそうとしてきても、全然惑わない。 先生たちは、そもそも、惑わそうともしていないのだが、初心者の人が、ちょこちょこと、惑わすようなふりをしてきても、全然、惑わない。 というのは、まっすぐ構えて、まっすぐ打ち込めば、同時にそのまっすぐさが、防御となるみたいだ。 […]
哲学的探求
さて、英語喉講座の実践の音声をYOUTUBE動画にまとめているのですが、以下は、すでに以前に、このBLOGで紹介させていただいたものを、YOUTUBE動画として焼き直したものです。当時は、部分的にしか録音していませんでした。ちょっと工夫がいると思い、弁当BOXランチのセリフが画面に出るようにしました。 今回は、グラフィックをマイクロソフトのパワーポイントで作成しました。ちょうど、プレゼンテーションをするときのスライドのように、音声にあわせて画面をつくり、それをGIFファイルかなにかでSAVEします。その後に、WINDOWS WINDOW MAKER 2.6で音声と合体させました。 私のラップトップにはWINDOWS LIVE MOVIE MAKERがついているのですが、会社の同僚でMOVIE EDITINGに詳しい若手が、古いのだけど、2.6のほうが、使いやすいということを教えてくれました。 今朝、英語喉でぐぐったら、広島大学の柳瀬先生が、英語の発音のことを書いてらっしゃいました。 http://yanaseyosuke.blogspot.com/2011/12/blog-post_09.html 音声学にある調音位置をしっかり練習したら、英語の発音が向上するとおっしゃっています。引用させていただくと: 「発音は原理に従えば必ずできます。どうぞ、わかったふりをして「駄目な稽古」を繰り返すのではなく、上の表やサイトを使って原理を身につけて下さい。その原理をものさしにして、辛抱強く「下手な稽古」を続けてゆけば、必ず「上手」になれますから。」 う~ん、本当に上手になるのでしょうか? 日本語と英語で調音位置が同じである音がたくさんあります。例えばMとかDです。しかし、だからと言って、日本人がMとかDとかを言ったら英語と同じ音になりません。 あれ、よく見たら、日本語と英語で同じ音がほとんどではないですか(Nとか、Mとか、その他たくさん)。 このことだけで、調音位置を練習したからと言って、英語の発音がよくなるということではないと分かりますね。 日本語でも英語でもMとNはNASALと分類されているのです。じゃあ、別に何をする必要もないではないですか! しかし、ここで、なぜか、多くの人が、そのことを、しっかりやるとか、きっちりやるとか、、、強くやるとか、、、そういう風に解釈を勝手に加えてしまうのでしょう。 例えば、Bは日本語でも英語でも両唇なのに、なぜか、英語では、それをしっかりやるとか、、、。 私は最近あまり音声学のことを気にしてはいません。ひさしぶりです。 私にとっての哲学的探求とは、デコンストラクションをさします。「原理」と多くの人が信じている「表」があります。その表がASSUMEしているものはなんでしょうか? まず、それが「真実」だと思い込まれている、、、ということがいえます。 しかし、よ~く見ていくと、その真実は色々なパワーポリティックスによってサポートされていることが分かります。まさに、フーコーの描写した世界です。 証明のための実験したらいいのに、、、と私なんか思ってしまうのですが。仕事がら、実験を使った論文を読むことが多いので、いやみでなくてそう思います。表で訓練するグループ(TREATMENT GROUP)、しないグループ(COMPARISON GROUP)、、、そして、結果を計ると。 哲学とは、自明とされているシステム、事柄、週間、パラダイム、考え方を批判的に見る、一度ばらばらにして、再構築する、、、とかことじゃないかと思います。 さてと、、、 私は、英語喉をやれば、必ず上手になれると、出版前は豪語していましたが、それは、ひとつのことを忘れていました。本となると、さすがに著者が前にいないので、成功するかどうかにぶれがでてきます。 ま、そこで、私に直接教えさせてもらえないかと思い、DCではボランティア講座をしています。今週末だけで5人ぐらい、国産ネイティブレベルの発音と聞き取りを生み出す予定です。 ま1ヶ月に10人を目標とし、1年で120人です。 私は、そのことの証明にも、ボランティアのたびに、音声を紹介させてもらいたいと考えていて、以下のYOUTUBEサイトを発足させたのでした! YOUTUBEサイト名 拝啓 文科省さま 英語喉効果の証明です! http://www.youtube.com/eigonodo
英語喉セミナー動画 もう1本つくりました +松本道弘氏
ボランティア講座の録音で9月30日にBLOGで紹介させていただいたものですが、動画にしました。 あと、松本道弘氏が、おしげもなく、英語を披露されております。すばらしいことだと思います。 - YouTube http://www.youtube.com 松本氏は、英語は強弱だと信じられているようですので、その強弱が伝わってきますね。信じていることと、実践が一致しているのは、すばらしいと感じます。 でも、そうするとおとなしく英語を喋れないという弱点がないかな~~。英語に強弱など関係ないですから。 いちおう、英語喉ライブのほうが、歴史的には先かな? 隠れずに、アドリブ英語をさらす、、、という週間は2011年に始まったということで。 いや、MASA RADIOのほうが先かもしれない。 ところで西洋ではディベートが大切だと言うが、実際、アメリカの会社でディベートやってたら、うっとおしいと嫌われて、解雇されるのじゃないかな。 前から言っているけど、論理を鍛えるためには、ディベートは必要だとは思えない。論理を鍛えるのは日常生活でよい。 シャワーをあびていたら、お湯が熱すぎたーー>あちいいいいいい、あちあちいーー>冷水の分量が増える方向に蛇口(?)をひねる 腹減ったーー>めし食おう 論理よりも大切なのは、分析、解釈、証明するためのメソッド、、、とかじゃない? さて、 アメリカの会社で非常に大切にされるのが、チームワークであり、和の精神だからだ。 あとボスに好かれるとか。 日本でも同じだと思うが。 逆に日本だと、結構、法律で正社員って制度があるので、正社員ならディベート的な議論してもOKじゃないの? 逆じゃないか? そういえば、アメリカの政治家が全然使わない言葉で、日本人の政治家が使うことがある。 「もっと議論がいる」 ディベートって、逆に日本の文化じゃないの?