May 2013
論理的なことが大切かどうか?
英語を勉強する人は、英語で論理的に喋れるのが大切だという感覚があると思う。しかし、私の経験では、意外とそうでもないと感じる。 日常会話では感覚的に喋るのがネイティブ流だ。 仕事では、もう何年もやってきたことをするので、論理的であろうとする意識がない。それより、正しいかどうか、ということが気になるところだ。同僚と仕事のディスカッションをするにしても、それはディベートで勝つためではなくて、一緒に、やっていることが正しいのかどうかを確かめるということが主だ。 私のやっているのは評価研究で、例えば、何々州でこんな教育の試みをしていて、それが効果を出しているかどうか調べてほしいという要請に応じて、評価研究計画みたいなのをだす。効果を調べるためには、その試みをしている学校もいるが、していない学校と比べないといけない。これをTREATMENT GROUPとCOMPARISON GROUPと呼んでいるけど、それが科学的に、厳密に、どうやったら、正しく作れるか、、、これが大切になる。 論理的であることは前提であり、論理的なことは、小学校、中学校、高校など教育の過程で育ち、鍛えられているのが前提。 だから、大人になって、論理的であるトレーニングがそれほどいるだろうかというのが私の考えだ。実際、教育を受けていれば、ある程度、論理力はあると思うので、それを英語学習とともに、鍛える必要があるとあまり思わないのです。 逆に、論理が大切だと感じるのは、聞き取りや発音が弱く、相手に英語が伝わりにくい、あるいは、理解しにくいときに、感じることじゃないのかなと思う。聞き取りが100%でなければ、どうしても相手と平等のレベルに立てない。だから、やや戦闘的な気持ちになる。ディベートが大切じゃないかという気持ちになる。 しかし、聞き取りができるとあんまりそう思わなくなるように思う。 あるとき、会社の同僚に、今年の目標は、ASSERTIVEになることだと言ったら、「え?なんで?」とか言われた。ASSERTIVEになる必要は全然ないと思う。大切なのは、やっていること(コンサルティング)が正しいかどうか。同僚やクライアントが気にするのはそれ。 (科学的にみて)正しいかどうかは、専門分野のトレーニングと経験が決めてで、英語学習自体とは関連が薄いように思う。私も場合は、評価リサーチや統計学が専門だけど、誰にだって、強い分野があり、その分野で正しいことが分かればよいのじゃないかという気分。 これが私の感想です。これはもう7年ぐらい同じことを書いてきています。 もちろん、論理的に話をするのは楽しいことだし、日本でに来ている外国人は文化の違いなどについて論理的に話をするのが好きだと思う。
英語喉に出会う前の私の英語(著者自身)
英語喉革命さんは、「元からうまいよ」と、以前コメントされていました。 http://blog.livedoor.jp/nodorevolution/archives/51619310.html
音は脱落しない
先週だったか、イギリスの女王のスピーチでRが落ちるわけではないということが証明できた。Rの音色がイギリス英語で少し違うということである。 今朝、出るときに、建物の敷地からでるとき、門を開けるためにボタンを押すのだが、エルサルバドルからの人で掃除をしている人が、2回おさないといけないと言ってきたのだが、そのスペイン語が Hay que hacer dos veses と言ったと思う。そのDOS VESESは2回という意味だが、おそらく英語喉をしていない日本人には、DO VESESという風にSが落ちて聞こえただろう。英語喉をしている自分には、確実にDOS VESESと聞こえたのだが、それにしても、メキシコ人などが言うときのようなクリアなSではない。まるで喉のほうでやる気なく息をだしているだけで出てくるようなSで、どちらかというとスペイン語のJに似ている。大げさにカタカナ表現すると、ドスべセスではなく、ドフベセスと聞こえる。 英語喉をしていると、シラブルにも敏感になる。だから、 DO VESESという構造がありえないのが体感的に分かる。シラブルは<子音ー母音ー子音>だから、DOのあとに子音が来ることを頭が感覚的に予期している。 DOS-VES-SESだが、エルサルバドル人がいうと、DOJ-VES-SESというふうに聞こえるのだ。 感覚的に予期しているのだから、聞こえるのであろう。 だから、イギリス人がRを発音しないなどと聞いても、それは感覚的、体感的にありえないと思い、じゃあ、イギリス女王のスピーチを聞いてみましょうかと来る。 さて、自動車に乗り込み、サテライトラジオでCNNを聞いていると、先日、オハイオ州のクリーブランドで誘拐、女性3人監禁で逮捕された人の兄弟が、二人出演していて、スペイン語なまりで話している。 その彼らの発音するSだが、だいたいは普通のSなのだけど、たまに、J(スペイン語ではフみたい)にような音になっていた。THISがTHIJという感じだ。 うちの外の庭を掃除しているエルサルバドルの人が1時間前に発したSの発音と同じだといえる。 これを脱落していると呼ぼうと思えば呼べるだろうが、英語喉的には呼ばない。 音声学者が英語で音が落ちるということを言っていることを、まにうけて、本当に落としてしまうと、外人が聞いたときに、通じなくなってしまう。 例えば、真に受けた人がCARのRを発音しないとCA~となり、そんな単語は英語には存在しないのである。 DOS VESESをドべセスと、本気でSを落とすと通じなくなるのだ。そんな単語はないからだ。 Hが落ちると信じ込んでいる人がたくさんいる。TELL HIMがテルイムになるというのだ。これも間違っている。 TEL-HIMとシラブルに分かれるが、シラブルの最初のHは、Hの音の半分から発音されるのだ(ちなみに、TELのLはシラブルの最後にくる子音だから、その音の半分まで発音される)。 半分からしか発音されないHは日本人には聞こえにくいということだ。英語喉をやっていれば、言えるし聞ける。 このような規則性を持って、日本人にとっては音が消えたように聞こえる。しかし、親権に、テルイムというとTELL HIMとは違う単語になってしまい、通じない。 リエゾンというのは、無視したほうがよい。喉の奥で音をつなげていれば、勝手に起こる現象だ。意識的にリエゾンを練習すると、英語がますます通じなくなるだろう。