July 2013
英語が聞けないと分からない米国のサブカルチャー
最近、ラップをFEATUREした番組をMTVでやっている。WILD N OUTといって、マライア・キャリーの夫が司会をしている。若い人が、チームに分かれて、相手をラップでからかうというコンテストだ。このようにラップという音楽自体が始まったようだ。こういう文化は、英語が聞けないと理解できない。聞けると、面白いし、なるほど、こんなサブカルチャーがあるのかと分かる。アメリカの文化はヒップホップのようにストリートから始まったものがたくさんある。 http://www.youtube.com/watch?v=306l-uVHw-c&t=0m30s
なぜネイティブ同士の会話となると聞けない人がいる?
大学のときに、ネイティブ同士が喋っているのが聞き取れないことがあった。あれは、なぜだったのだろう。 今は英語が100%聞けるので、ネイティブ同士だろうが、テレビだろうが、TOEIC教材風・NHK英語風だろうが何でも聞ける。 聞ける立場から見ると、違うがなぜなのか、分かりにくい。 言い方を変えると、なぜTOEIC教材風の英語は聞けるのに、ネイティブ同士の会話の英語が分からないのか、、これが、なかなか分かりにくい。 多くの人が、スピードが速いからだと思い込んでいると思うが、ネイティブ同士だからといって速いと全然思わない。 聞けていない人にとっては、スピードが速いかさえも分からないはずだと思う。聞けていないのだから。 近所に日本人の記者さんが住んでいて、ある友人の英語がなまりすぎて聞けないというから、私がその人と話してみたら、なんと、、 ぜんぜん、なまっていなかった、、、 私の隣人は自分が聞けないから、なまっているはずだと思いこんでおられるのである。 これまで私は流動性が増すので聞き取れないのだろうと思ってきたが、もしかして?と思うことがある。 それは、ネイティブ同士の英語が聞けない人は、ふだんから、NHK風の英語に慣れてすぎていて、音程にごまかされてしまっているのではないかということだ。 日本語では音程はとても大切で、例えば、「わざび」と標準語で言うと、「わ」が高くなる。広島弁だと、「さ」が高くなる。 音が、「わ」から「さ」に、「さ」から「び」に変わるだけでなくて、音程が変わる。その音程をたよりに、日本語において、シラブルを聞いているのではないだろうか。 英語でも、同じことを頼りに、英語を聞こうとしているのではないだろうか? NHK風ナレーションでは、音程の上がり下がりが大きい。だから、それを手がかりに、シラブルっぽいリズムをそれなりに聞いているとしよう。 ところが、ネイティブ同士の会話では、音程のほうは二の次で、喉発音とシラブルの二つの要素でコミュニケーションが成立している。 音程の上下は、表現力としてはあるが、その程度が小さいからといって言葉が通じないということは英語ではありえない。 音程に気をとられすぎているから、音程がNHK風ナレーションと違ってくるネイティブ同志英語が聞き取れなくなるのではないだろうか?などと考えた。 なぜ日本に住むネイティブナレーターさんはそんな独特な読み方をするのだろう。それは、日本語をまねているのだと思う。さらに、そういう喋り方をする人じゃないと、採用されないのだと思う。採用する側にも英語とはそういうものだという思い込みがあると思う。 英語を聞くときは、音程は、どちらかというと、それにごまかされないようにしながら聞くのがよい。 矛盾するようだが、英語にはシラブルの中に抑揚があるのはあるが、音程の問題というより、音の深さととらえ、それを楽しみながらも、ごまかされないようにしながら、一つ一つのシラブルの波にのる。 これが、できるようになれば、英語が100%聞こえるだろう。 すぐに聞こえなくても、あせらず、まずは聞こえるようになることに専念する。一度聞こえるようになれば、ずっと聞こえるようになる。 以下はVOZEさんに以前したアドバイスだが、わざとしている音程を発音からとりのぞいてとアドバイスしている。聞き取るときも、同じで、日本語で期待するような音の上下を頼りにしてはいけない。楽しむ感じは良い。