January 2015
やっぱりアメリカの人情も日本の人情も同じ
やっぱりアメリカの人情も日本の人情も同じ アメリカに20年いるけど、10年ぐらい前から、やっとアメリカの文化に同化した感覚があり、それは日本人でなくなったわけではなくて、ただ単に、喋りだす前に息を大きく吸う音を出すだけ。 これだけで、この息を吸う音を聞くだけで、アメリカ人が、「お、今からカズが何か言うぞ」と注目してくれる。 当然、喋っている人の息遣いも聞いていると、どこで、自分が話し始めたらいいかがわかる、、、、 話を始める瞬間は 1.今、喋っている人の息がもう少しで全部なくなりそうな瞬間 2.で、内容的にも終わりそうで、さらに、大きく息を吸い込まないことを確認 この瞬間に、自分が息をすう音を周りに聞かせる。 相撲でいうと立会い。ちなみに、慣れてくると、この瞬間に、アメリカ人たちは、気を使っていて、他に喋りたい人がいないかを確認しながら、気の毒そうに話を始める。 会議などで、アメリカ人は見事なほどに、TURNをとって、話をしていて、実は、人が話をしている瞬間に喋りだしているのは自分だけ。慣れてきたけど。 息を聞く、息を使う、、、これをしていなかったために、アメリカ在住の最初の10年は苦労をした。 気づいてみるとうちの犬でさえ、自分が息を吸い込む音をたてると、「え?何?」みたいな顔でこちらを見る。犬でもやっていることなのだ。 10数年前、アメリカの民間会社で勤めて、ある日、同期っぽい人たち10人ぐらいとランチに行ったら、自分は完全に無視されたような感じだった。 大学院のときの日本人の先生も、大学院のパーティーなどで「ぽつ~~ん」としていたけど、それと同じだった。 今考えると、日本人のコミュニケーションのルールと英語のルールが違って、日本人がしがちな仕草や、息の音使いの聞えなさぐあいで、アメリカ人のほうは、「えらい、日本人はシャイだな」と勘違いしてしまうのでした。 先週、会社の同僚が一人去るということで、近くのバーに集まったのだけど、かけつけて、隅にいたら、わざわざ、会話に誘ってくれて、アメリカに住み始めて最初の10年に感じたような疎外感を感じなかった。 アメリカ人も水臭くない。会話のルールが違う。 そしてその会話のルールは犬でも使っている哺乳類に特有なルール。 日本語が違うのだなと。 今、思えば、12年ぐらい前、会議で喋りまくる人が2人ぐらいいて、なぜ、その人たちはしゃべりまくれるのに、自分は、喋り始めることさえできないのかと真剣になやんだ。一人は北欧出身の人だった。 この彼女と私がだいたい同時に話し始めても、その彼女は、えんえんと、ゆずらない。一度、実験で彼女が同時に話し始めても、わざと20秒ぐらい譲らずに、話し続けてみた。それでも彼女は絶対に譲らない。そして、まわりの雰囲気も、「なぜカズは喋っているのだ?」と言う感じだった。 なぜ、同時に話し始めたのに、ワシが悪者で、その彼女に話す権利があると周りがミナシテイルのか???人種差別??? 今考えてみると、彼女は、息使いのルールを使っていたのだなと思う。周りのアメリカ人は完全に彼女に離す権利を渡していたのだ。 人種差別とかじゃなかった。