May 2016
「英語上級者」
普通の「英語上級者」は1対1だとネイティブと話せるが、ネイティブ同士の会話にはついていけず、ニュースならなんとなく分かるが、洋画だと手も足も出ないという感じだと思う。そして、普通の英語上級者は語彙、文法、繰り替えして練習することの重要性を説く。 この英語上級者の体験、経験が日本人の英語教育の考え方のパラダイムとなっていると思います。 そのパラダイムでは しっかりと文法を勉強する しっかりと語彙を勉強する その後で発音を勉強し、 最後に聞き取りに挑戦するけど、 ネイティブ同士の会話に入るのは無理(これがスゴロクで言うところの「振り出しに戻る」に値いする、、、じゃ、結局、英語が喋れないということなので。 何がおかしいかと言うと、本当は以下のようじゃないといけない。 とりあえず発音ができる。 音として捕まえることができる(繰返せといえば繰返せる)。 この二つが土台にあれば、どんな文法、語彙を勉強しても、その瞬間にそれが使える道具になる。 例えば、今日はBE動詞の勉強をしましょう。IのときはAMね。YOUのときはAREね。過去にするなら、WASとWEREです。 すると、この事項に関しては使えるようになる。言って通じるし、聞いて分かる。 <コンピュータプログラミングの学習の仕方と全く同じ> 英語上級者のパラダイムは、えんえんと勉強をしつづけて、30代、40代、50代でもまだだめで、続けていれば、いつか、ある高みにいたるだろうという考え方。 <宗教の考え方と全く同じ(宗教に対するDISRESPECTではありません)> まさか、その文法事項を学んだときに、それが使えないといけないという感覚はない。 この話は信じてもらいにくい。根拠は何なのかと来るからだ。根拠は自分は英語が聞けて、言えて、話せる、、、洋画も聴き取れるし、ネイティブ同士のディスかションの中でも普通に参加できる。 その立場から言うと、こうでないといけないということ。 そういう人は散在しているのだけど、一箇所に集まっていないから意見が通らない。 圧倒的に「英語上級者」が多いので、英語上級者のパラダイムが真実とされる。 時効だから書く。 一度、熱心に指導活動をされている英語上級者のかたに英語対談を申し込んだら、非常に光栄に感じてくれたのだけど、緊張するので、字に書いた英語を読んでもいいかと言う打診があって、そのうちに今回は遠慮しますということになった。 理論武装されて、色々と方法を展開されていて、教えておられるのだけど究極的には、英語を教えているけど、自分が英語ができないという状態なのだと思う。これは、皮肉とかではなく、とりあえず現在の日本の英語に関する言説環境をまとめてみたということです。
日本の教育制度のパラダイム
日本の教育制度のパラダイムは 生徒 知識 というのがあって、生徒が知識を学習するというパラダイムだと思うんですが、そうじゃなくて 生徒 知識 生徒が人間としてすでにもっている適性 と言う風に3つ想定したほうが良いのではないかと思うのです。 数学という科目の場合は、適性がすでに自明的にじゃなくて、こっそりとすでにこれが機能しているように思います。 体育では当然でしょうか。 文系科目の場合は、機能していない気がする。 英語の場合、実は国内の言語文化にも色々あって、発声的には西日本の言語文化では外国語に近いので、それを生かせばよいのだけど、生かせておらず、暗記中心、字中心の学習になっています。 結果として教えているほうも英語を話せない、聞けないという状況が生まれています。 すでに生徒がもっているものをうまく生かせればよいと思います。例えば広島県人であれば、広島弁の発声を英語教育に生かせばうまく行くと思います。 時効だから言いますと、田舎に帰ったときに、地元の学校の先生に英語の発音を教えに行きました。すると10人ぐらいの先生の中で数人発音ができない人がいるんです。 まずは若い先生。発声が硬い。これは標準語の影響ではないかと思います。 一人の先生がどんなにがんばってもできませんでした。 理由は、その先生は英語が好きで、英語を勉強しているからのようでした。 英語を勉強するから英語が発音できなくなるんです。 口先がどうの、唇がどうの、音の強弱がどうのとこだわるとせっかく持っている広島弁の発声方法から遠のいていきます。 逆に、マジョリティーの英語に全く関係ない先生たち、体育の先生たちは、英語の発音がネイティブと全く違わないレベルまで言えるんです。 「きのお~か~ぷ、かったのお~」というときの、感じで英語を言うと、そのまんまネイティブ英語なんです。 で、言える人は聞きとりもできるんです。<--これが大切。 <経験上ですが、西日本には英語は喋れないけど、なんとなく聞けるという人が存在します。大阪の私立高校で働いているとき、数学のY先生が、そういう人で英語ができないのに、ネイティブの言っていることはなんとなく分かっていました(浜田しょうごのファンでした、、発声がああいう感じだった)。> やっかいなのは、英語の発音ができない英語に熱心な人が、英語の勉強の仕方を発信するという状況です。 この状況は日本全体を覆っていると思います。 英語教育の鍵は、田舎もんで、教育レベルのあまり高くない人が英語ができるようになること。 そういう意味で東京大学出身の人で固められた文部科学省さんの英語教育グループに改革ができるかどうか不安になります。 長い教育年数のなかで体が硬くなり、発声も硬くなり、そもそも英語が聞き取れないと思います。 英語が聞き取れないと、「こんなに勉強しているのに、できないのは、語彙が足りないからだ、文法の勉強が足りないからだ」という方向に進んでしまうのです。 英語教育の方針に関しては、西日本の田舎ものの感覚を生かしてほしいと思いますが、ま、無理かな。
STUDYINGは3シラブルですが、英語上級者は間違って2シラブルで言っていますよね
英語喉をやっているので、以前は違う言い方をしていたなと思うことがありますが、特に動詞のING。 STUDYはSTUDYING STUD-DIY-YING でも、日本人で英語が上手と言われている人は、これを間違って2シラブルで発音しています。私もそうしていましたし、今でも油断すると、そう言ってしまうかもしれません。 STUD-DYING と。 「すたでぃいん(ぐ)」が正しいけど、「スタディ(ん)」となってしまう。 それから、英語上級者は T を激しく発音します。実際は、そうしなくてもいいのです。 Tを激しく口のなかで破裂させることは意識しないとできにくいので、これをしていると、思考のプロセスのエネルギーがとられてしまい、話しながら喋るのが難しくなります。緊張してしまいます。 いわゆる英語上級者はもう一つ単語の最後のLを省略する人が多い。 SCHOOLはスクー。 PEOPLEはピーポー。 英語上級者だからこそ、SHCOOLをスクールとは発音しないものの、Lが言えないので、SCHOOで省略。Lは言っているつもりでも喉が硬いと舌をがんばってもLの音がでませんので、SCHOOLがSCHOOになります。シラブル数は合っているので通じます。 英語喉でやれば、こういうLでも発音できます。 多くの英語上級者が、TとERだけがんばっているような英語を話します。 がんばりすぎて、TはCHになります。TAKEだとCHAKE(ちぇいく)みたいになります。 ER(例 PERSON UNIVERSITY)はジャイアント馬場のアッポーみたいなこもった音になります。 ただし、英語上級者はシラブルの数がだいたいあっているので、英語が楽に通じます。 ただし、、繰り返しになりますが、息を激しく摩擦するとかいうことは意識的にしないとできませんので、どんなに英語を勉強しても、緊張してしまうという状態が生まれます。ERでこもった声をだすのも、そういう体の動きは、無意識ではできないので、余計なブレーンパワーがいります。 でも、おそらく意識上では、Tを激しく破裂させるからとか、そういう理由で英語が通じやすいのだと勘違いされていると思います。 英語喉だけが無意識で実践できる方法ですので、ギターを弾きながらだろうが、考えながらだろうが、実践することができます。 英語喉だと英語がマスターできるんです。 英語上級者の人は英語をマスターしていないんです。だからいつまでたっても、語彙を勉強したり、英語のリスニングの勉強を一生つづけないといけません。 英語上級者のかたは、英語喉で調整してくださいね!