December 2019
FBのあるグループで投稿してみた記事
この10年ぐらい、思っていることを書いてみたいと思います。 なぜ日本人は英語が苦手なのか、、というふうな言い方があり、個人的にはこれは正しいと思います。私はアメリカに26年ぐらいおりまして、英語は日本語と同じレベルになりまして、ネイティブ同士の会話だろうが映画だろうが、普通に聞き取れます。 私の意見となり、恐縮ですが、日本人が英語が苦手なのではなくて、日本の人口が集中している関東地方の日本人のかたがたが特に英語が苦手なのだと思います。 それは、発音と聞き取りという面で標準語と英語がかなり違うからだと考えています。 茂木健一郎氏の話すペースの早くて、声が甲高い感じの英語をイメージしていただきたいです。あるいは落合信彦氏の息子さんの話す英語とか、皆さん、関東地方のご出身です。 一方、私のような広島人とか、地方出身者は方言を話しますが、方言は音の響きなどが英語に似ているがために、英語を聞いたときに、どちらかというと聞きやすい。 小林克也氏(広島出身)が頭に浮かびますが、ソフトバンクの孫氏とか、大前さんとか、元総理のだみ声のかたとか、島根県出身の元首相とか(名前がでてきません)。GAKTという歌手さんも沖縄出身ですが、語学に堪能のようです。 私は大学生のころから英語が上手だとか発音がアメリカ人みたいだとか言われ続けて今にいたるのですが、この10年ぐらいで、それは自分が広島弁話者だからではないかと考えるに至りました。 (おそらく関連していると思いますが、人の名前の読み方の抑揚が広島弁と英語で同じです。「ひろこ」、「あきら」、「まさこ」とか。私自身、英語テストのアクセント問題で苦労したことがあまりありません。広島弁話者として楽な言い方をすれば、だいたい合っています。) 英語の学習は音から始めるのが効果的だと考えていますが、関東地方の生徒さんの場合、まず広島弁などの、ダラ~~ンとした感じの発声をまねてた後で、英語に取り組むとよいのではないかと考えています。 例えば広島では あんたあ、なんしょ~ん? といいますが、それを言う感じで、 What are you doing? と言えば雰囲気がかなり似てきます。 言い方を変えると、英語以前の問題として、同じ日本人でも、発声方法が違うのではないか、、ということがあるのではないでしょうか?シラブル構造からして違いますね。 標準語 VS 広島弁(例です、、他の方言でもかまいません) なにをしていますか VS なんしょ~ん ダダダダダダダダダ VS ボ~ンボ~ン で、ここで最後のオチとなりますが、英語を含む多くの外国語のリズムはまさに、この方言と同じで、ボ~ンボ~ンボ~ンボ~ンというリズムだと、、主張しています。
英語ネイティブと日本人の認知症気味の人との共通点
自分は英語を教える際に、英語には英語独特の話し方、話の進め方があるとしています。普通は英語は論理的にというのが主流の考え方ですが、どちらかというと日本でいえば、お年寄りが話す感じで、えんえんと相手を無視して語る感じ。ずばりトランプ大統領の話し方です。 英語喉有料講座の2回めのレッスンで、教えています。 これは英語だけでなく、その他の言語でもだいたいそうだと思っていますが、日本人の大人の話し方だけが、論理的で、短めだと考えています。 ある時、日本で、あるお年寄りと道で出会いましたが、そのおじいさんは、すこし認知症が始まっているようでした。えんえんとご自身の人生を語ってくれました。非常に興味深い話でした。まさに、その話し方が、英語ネイティブの話し方なのです。 つまり、認知症によって、日本人も、人類にとってデフォの話し方に戻っていくのです。 認知症 によって子供の時に帰ってしまうという考え方がありますが、まさに日本語では子供の時と痴呆気味になったときの、話し方が人類のデフォ的な話し方であり、大人の日本語が特殊なのだと私は考えています。 なぜ大人の日本人は人類デフォの話し方をしないのかですが(手短にまとめて論理的に話す人が多い)、それは私の考えでは、日本語自体が日本人にとって第2言語なので、話しにくいのではないでしょうか? 私にとっては母語は広島弁なのですが、標準語のようなものを後で学びました。関東の人にとっても、おそらく子供の話し方と、標準語にかなりの乖離があるのではないでしょうか? 英語やスペイン語では衝撃的な事実といえばそうですし、また当たり前だとも思うのですが、子供の言語と大人の言語が構造的に全く同じです。 詳しくは英語の勘シリーズを読んで頂きたいと思います(右のメニューより)。 とりあえず、今から、英語ネイティブ風に話したいかたは、まるで独り言を言うように英語を話してみてください。
ローマ法王に手紙を送ろうか
本日は、クリスマスなどに備えて買い物に色々と行ったのだが、韓国系スーパーで少し買い物をしてレジのところで、ホンデュラスから来たという若い女性のレジ係の人とスペイン語で会話をした。 すると、衝撃なのだが、明日のNAVIDADの準備はできたか?とスペイン語で聞いてくる。 NAVIDADというのはクリスマスということ。しかし、今日は12月23日、明日はクリスマス・イブではあるが、クリスマスではない。 え?どういうことと確認したが、やはり明日のNAVIDADの準備はできたかと聞いている。 これは、明日が大晦日とすると、「明日の正月の準備はできたか?」と言われているようなもの。 ローマ法王さんに手紙を書き、一体どういうことか、、と聞きたくなったのです。ラテンアメリカの人々はカトリックです。 10歩譲って考えて、大晦日だとすぐに夜中の12時で新年になりますから、ま、それと同じように考え、明日はクリスマス・イブではあるけれども12時を回ればNAVIDADだと理解すれば、明日のNAVIDADという表現を受け入れることができるかもしれない。 ペルー系日本人のマリリー先生に聞いてみるしかない。