英語はまずマスターしてから、後で難しいことを覚える
ツイッターで以下をつぶやきましたところ、多くの人にライクボタンを教えていただきましたので、補足します。 直接引用も念のためにしておきますね。「英語は競争ではなくて、まず、ネイティブの言っていることが分かる(分からない単語があったら聞ける)+言いたいことがシンプルな言葉使いで言えるレベルまで到達しておいてから、あとはゆっくりと語彙を増やしていきます。マスターした後で語彙を増やすんです。分かります?多くの人が逆になってる。」 さて、このツイの後にこんなことも書きました。 それから、コメントをいただいたMIOさんに対して、このようなコメントもしました。 さて、説明しますが、普通の英語学習者は、英語を話すこと、聞くことが苦手な状態のままで、えんえんと語彙や文法などの「勉強」をします。 学校の英語教師も、熱意をもって頑張っておられると思いますが、クラス人数が多いこともあり、短期決戦で、英語をマスターさせるという感覚は薄く、生徒たちには、何年も、何年もたったあとで、英語が将来できるように、、という気持ちで教えておられることでしょう。 まずはシンプルな基礎をがつんと学び、使い込むことで、まず、マスターしてしまうのが理想です。 そんなマスターなんて無茶なと思われるかもしれませんが、日本の戦時中に敵国語の英語を禁止した時期があったでしょ? は?突然、何? 例えば、太平洋戦争のときに、野球をすると、ストライクだと、 「良し!」 みたいに、外来語・英語をわざと日本語にして表現したというのは、有名な話です。 英語でも同じことをしてください。 英語古来の英語は多くが1シラブルの短い単語です。動詞で見てみましょう。 sit, run, speak, say, see などなど。これらの短い単語は英語に昔からある単語なのです。外来語ではありません。 気づいたでしょうか。ほとんどが不規則活用です。 逆に、規則活用の動詞は外来語であることが多いのです。見てみましょう。 exercise, discuss, perceive, recognize ラテン語ですかね。 外来語だから、英語に入ってくるたびに、活用をいちいち、考えるわけにはいけませんので、とにかく語尾にEDつけとけ~となったのです。 (これ10年間考えて思いつきました。) 日本語でも実は同じ。昔からある動詞は(歩く、走る、食べる)などは、過去形にするときに、活用がややこしい(あるく、あるいた、あるいたとき、あるけば、、、)。ところが「する」を外来語につけると、簡単に動詞になり、過去形も「した」で大丈夫。食事する、食事した、一服する、一服した、検索する、検索した、、 ちょうど英語では外来語にはEDつけとけ~となっているのと同じで、非常に規則的です。 まずは、英語を話すときに敵国語、、いや外来語を排除して練習してください。 不規則活用の動詞を使いましょう。 すると突然、英語がシンプルになります。 例えば、I discussed と言うことをやめます。すると、 I sat with him and spoke. という具合です。 I disagreedもだめ。 I said, "No." すると、皆さんの使う英語が突然シンプルになりますよ。 辞書の最後のほうに載っている不規則活用の動詞の表をまず全部丸覚えしてください。 すると、不思議や不思議、意外の世界に存在する色々な事象を、シンプルな動詞だけで説明できてしまいます。 なぜでしょうか? 不規則動詞は英語に昔からある動詞ですね。だから、英語圏の生活に起こる動作の全てをカバーしているのです。 つまりシンプルな動詞達は、数が少ないのに、非常にすぐれた道具箱みたいものです。 不規則動詞の表は、職人芸をささせる道具箱と考えましょう。 […]
ファイザーワクチン接種、第1回目が終わりました
日本でもファイザーがワクチンとして主流になりそうですが、ファイザー第1回目が終わりました。 注射自体、あまりにも痛くない注射で、え?本当に終わったの?何かの間違い?と思ってしまいました。蚊レベルです。 第1回接種と第2回接種は全く同じ注射なのかな?と興味があったので、聞いたら、全く同じ製品(のワクチン)だと言われました。第2回目が量が多いとか、少ないとかいうことではなくて。 その後、その日のうちは、別に副作用と思われることはなしでした。接種後の休憩室で、どうも、接種後にバタンと倒れて救助を受けているらしい人がカーテン越しに見えて、他人事ですが、焦ったぐらいです。 妻は、匂いに敏感になった気がすると言っていました(悪い意味ではなくいい意味でみたいです)。 午後3時に打ってもらい、翌朝の午前4時ごろ、腕の痛みで目が覚めました。一つの理由は普段左腕が下になる形で寝ているので、それで、痛くて目が覚めたのだと思います。 右腕にしてもらえば良かったかも。でも、接種の際の看護婦さんの横の椅子の位置が、左腕で受けるのを想定した置き方でした。今日は、腕が肩から上に上がりません。 痛いと言っても、死ぬほど痛いということではありませんし、今日は、動かさなければ大丈夫です。 昨晩は、すっと寝れたのでもしかしたら、疲れがでていたのかもしれません。
助動詞は実は助主語と考えると使いやすい
以下のツイートをしました。 英語って、先へ先へと考える言語じゃなくて、今言った単語に何を足すかを考えながら話す言語です(「英語の勘」に書きました)。だから主語を言った瞬間に5文型とか考えてたら逆に頭が忙しくなって話せなくなります。5文型は、すでに言われた文を眺めてグループ分けして納得するための分類ツール。 補足します。 英語は「今言った単語に単語を足す」の具体的な意味ですが、I can goだと、普通の人はcanは助動詞なので、canがgoを助けている、補足している、補助していると捉えます。 一方で、英語ができる日本人は、canは、今、言ったばかりの主語(I)を説明していると考えます(私、能力がある)と。 だから、そこで別に終わってもいい(I can)。何がやねん?とつっこまれると困ると感じればgoと添えます。 つまり、まずIと言ったわけですが、その主語(私)を説明するために、CANと言いました(能力があるということです)。そして、何のこと?と言われたら困りますので、CANを言ってから、GOを足そうかと思って足したわけです。 繰り返しになりますが、は?何のこと?と思われない感じであれば、I canで終わってもいいわけです。 普通の理解であれば、I canを見て、canの後にgoが省略されていると考えます。 私の文法論では、canの後には何も省略されていないと考えます。なぜなら、canはIを説明するために存在するので、その後にくるgoに関して、 責任もてませんよ~ 知らん、、、 と言うでしょう。 だから、CANを助動詞じゃなくて、助主語としてとらえると、とっさに口からでてきやすいのです。逆に助動詞ととらえると、面倒です。普通の日本人は、Iと言った後に、 1)GOができると言いたい 2)「できる」はCANだな と思ってからI CAN GOと言うので、非常にたどたどしくなります。頭の中で非常に複雑なプロセッシングが起こってしまうので緊張もします。 ここまで読んでいただきありがとうございます。 私の文法論(英語の勘1,2,3)でやれば、皆さんも英語が意外とすらすらとできるようになります。 さて、お願いですが、私のオンラインコースのメーリングリストにご登録をいただければと思います。皆さんが英語をマスターするために有益な情報をお送りします。こちらからぜひどうぞ。 https://nippondream.mykajabi.com/