ネット状況に異変 (国産ネイティブ)
長崎の雨さん、音声UPありがとう。 http://www.kantalk.com/Recording/Play/ID/3234 とにかく、喉が誕生した2年前だったか、その前だったかは、ネット上に紹介されている英語発音は、質がよいとはいえなかった。私は当時でも英語が100%聞き取れていたが、当時、ネット上に存在した音声は、私でも聞き取れないほどだった。それでも、うまい発音、、、として紹介されていた。 喉出版後、このネット状況に異変が起こっている。H氏、天満氏、RON氏、スカイフック氏、そして最も最近では雨氏、、、などなど。もともと喉を無意識のうちに実践していた人、口から喉への移行を成功させた人など、いろいろだ。 最近、日本の放送局による英語ニュースを見ているが、喉出版以後にネット上に出現しているネット上の音声ファイル、、、弁当ボックスランチ、、、と呼んでしまおう、、、は、そのプロのバイリンガルアナウンサー(ノンネイティブ)を根本的なレベルで超えている。
想像 なぜRON氏、天満氏、そして小林克也氏は英語ができる・できたのか
前回のエントリーで、「日本人の喉は、日本語の短い音を超高速で作り出すために常に緊張している。したがって、物まね能力に限界があるのだ。」と書いた。 新しいパラダイムの地平でものを書いているため、まだ喉革命を経験されていない読者には、理解しがたいコンセプトを含んでいたかもしれない。少し解説してみる。 物まね能力?なんでそれが英語発音に関係あるの? 物まね能力=音まね能力、、、なのである。 口発音では「音まね」、「物まね」とも、非常に難しい。 だから日本語では擬態語、擬声語がここまで発達した、、、と説明することができるかもしれない。 英語話者であれば、本当の音を、喉発音で、そのまま真似てしまえばよいのだが、日本語の場合はそうはいかない。 喉革命以前から喉を使っていたというすごい人たちがいる(なぜか全員が西日本出身である)。小林克也氏(私の世代の洋楽好きにとっては神的存在)、RON氏、天満氏である。この人たちが喉にいたった理由の一つは、物まねだったのではないだろうか。喉を使わないと物まねが不可能だから、そう思う。 多くの人が、音を表面的に真似ようとして(=ネイティブっぽさ)、逆に鼻のほうに行ってしまうのに(鼻にかけてネイティブっぽさを出す)、この人たちは喉(逆方向だ)にすでに到達していたのだ。 私自身は「物まね」ということを意識したことはなかった(高校のときに、田原俊彦の物まねをしていたときは、確かに喉でやっていたが、、、)。だから、この人たちに比べれば、やや浅いあくびエリアを使って、それなりに英語を喋っていたようだ。ただし、声が高めとなり、気持ち悪い英語を喋っていたのかもしれない、、、と振り返って思う(そしてなぜかリガチャーAのときには、口が横に広がっていた、、、)。 注意 フランス語は鼻にかけて喋る、、、という俗説、、、というか定説?がある。あれも勘違いである。たしかに喉を経験していなければ、鼻にかかった言語に聞こえるが、あれは、喉の奥ばかりで発音しているから、そういう風に聞こえるのである。 日本語が超高速?英語のほうが速く聞こえるけど? 英語と比べてみよう。 おはようございます。 GOOD MORNING 確かに字だと英語のほうが長い。でもシラブル数だと? おはようございます。 9シラブル GOOD MORNING 3シラブル 日本語のほうがシラブル数がダンゼン多い。機関銃のように、短い玉をダダダダダダダダダダと打っている感じだ。 この機関銃式発音、発声を最も自然な形で可能とするのが口発音なのだ。 超高速、、、という表現は伝わりにくいかもしれないので、言い換える。 日本語は ダダダダダダダダダダダダ 英語は ボンボンボンボンボンボン という感じだ。 ただし、ボンが2拍にならないように注意(ボ、ンにならないように)。ボンはあくまでも一拍です。
速く走るために腕を速くふれ
発音ができれば聞き取りができる、、、、 という言葉を耳にする。実際、喉においても、同じようなことを言っている。ところが、従来の言い方と、喉における言い方は意味がかなり違っている。 喉においては、どういう意味だろうか。喉においては、「発音」=「聞き取り」なのである。同時進行である。正確には、聞いて、喉でまねる。自分の言っていることを聞く、、、そしてネイティブの音と同じ音がでるように近づけていく、、と。 従来は口発音だったので、ネイティブの音に近づいていかない。そこで、言われていたのが、「がんばりましょう」とか、「繰り返しが大切です」とか、「とにかく続けることが大切です」だった。 喉は柔軟で音をまねる能力にすぐれた声帯を持っている。リラックスして豊かに響かせるならば、多様な音をうまくまねることができる(言語にかぎらず)。 日本人の喉は、日本語の短い音を超高速で作り出すために常に緊張している。したがって、物まね能力に限界があるのだ。 ちょっと実験してほしい。犬のなき声をまねてみよう。最初はカタカナで、ワンワン。そこからもっとリアリスティックなやりかたにどんどん近づけていってほしい。 すると自然の喉の奥へ奥へと発音地点、発声地点が移動していくような感覚を体験できるだろう。奥(首の中の喉)で発音していればいるほど、現実的な、犬的な音がうまく出せるのだ。 実際は、口で声が出ているわけではなく(口には声帯がないことは論を待たない)、喉で出ているわけだから、どんな発音でも喉発音なのだが、日本語的な発声は喉が緊張ぎみだ。だから、正確には、この「発声地点が移動していくような感覚」は勘違い。もともと喉で音は出ているのだが、緊張をほどいてやると、喉の奥へ奥へと発音点が移動しているような錯覚を感じるのである。 従来の言い方で、「発音ができれば聞き取りができる」とはどういうことだろう。出口のないトンネルのような感じである。聞き取りができないのは、発音ができないからだ、、、じゃあ発音をやろう、、と。 ところがその発音ができない場合はどうなるのか???? 速く走るために腕を速くふれ、、、と私は小学校時代の先生に言われたのだが、そのときはものすごく納得した。でも、早く走れないから腕も早く動かないのだ。出口のないトンネルのようなものである。 発音ができれば、聞き取りができる、、、というが、じゃあ発音はどうやったらできるのか、、、。 出口のないトンネルである。 「がんばりましょう」 「繰り返しが大切です」 「とにかく続けることが大切です」 となるのである。永久に出ることのできない迷図である。 社会学的な解釈を加えるなら、 師弟関係をつくりだすディスコース、、、と形容することができるだろう。 常に「教師」から「生徒」へと向かうディスコースである。 さらに、教師の立場にいる人がかならずしも、発音がうまくなくてもいいし、聞き取れていなくてもいい、、、という非常に変わったディスコースである、、、 さらにいうと、たとえばだが、聞き取り問題をつくっている試験委員さんでさえ(大学受験とか)、聞き取りができなくてもよい、、、という可能性さえある。おおいにありえそうである、、、聞き取りが得意な人は、まだまだ少ないので(これまで(喉以前は)聞き取りを可能とする原理が発見されていなかったのだから、聞き取りができないのは個人の責任ではない。) さらに、このディスコースは姿形をカモフラージュした「暗記問題」であるということも指摘しておきたい。教える側が、「答え」を持っていて、答え合わせをする、、、という言説戦略になっている。 だってしょうがない。教師の側からみると。 答えとは、たとえばWを言うときに唇を丸める、、、、ということを覚えておかないといけないわけだが、そのような項目はものすごい数があるわけだ。そして、実際の英文は何億ものパターンがあるわけだ。 This is a pen のイントネーションのパターン(何億もあるパターンのなかから)を教える側が一つ選び、指導するわけだが、じゃあ、I like that pen.だったらどうなるのか。何億も存在するイントネーションのパターンのどれを正しいとし、指導したらよいのか? 大学時代にESSをやっていたのだが、1年生を相手にスピーチを覚えてもらってコンテストをする、、、という企画があった。ある先輩は、1年生のスピーチをきいて、リガチャーAばっかり直していた。指摘しようとおもえば、何億もポイントがあるわけだが、なぜか リガチャーAだった。*** 喉の新しいパラダイム、「発音」=「聞き取り」という公式に対して、わけがわからん、、、とおっしゃるかもしれない。なんで言うことと聞くことが同じなの?と。 […]