本日も、日本の状況がよくなることを祈りつつ書きます。まだ寒いのではないでしょうか。こちらが寒いときは日本も寒いです。被災者の皆さんの健康をいのりつつ、、、
MASAさんが日記でこう書いている。 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1696089778&owner_id=7661548 から引用。
ネイティブ声に関して、、、
「とにかく倍音が鳴りまくる。男も女も。 男性の低く太い声でも高い倍音がいくつも鳴っているのでめちゃ立体的だし、女性の声にいたっては凄く高い倍音と低音部が響いてとても艶があって良い。 」
このネイティブの声に関する観察は正しい。「倍音」の意味はオクターブ上とか下とかそういう意味だろうか(厳密な数学的な意味で)?そうであれば、厳密には、それほど正確ではなく、もっとゲリラ的に音がなっているのではないだろうか?
我々がある絶対的なる音であるドをとり、それを言う?歌う?とする。従来の考えではドはドだろうが、実は、その周辺の色々な周波数が、いや周辺だけでなく、周波数の上のほう、下のほう(倍音と呼ぶのかな???)をも含んで、音が炸裂しているのではないだろうか?
私のアメリカ人の義理の妹はプロの歌手である。歌うと、クリスティナギレラみたいに声がでかいし、太いし、うまい。
いや、プロだけじゃない。去年の終わりころ、会社の謝恩会があった。大きな航空博物館を借り切って行われたのだが、そこで、カラオケコーナーがあった。同僚にふと、「俺がAC/DCをカラオケで歌う」と冗談で言ったら、本当に行こうということになった。会場についたら、同じグループの同僚達が、「カズが歌うというから来たんだ」と続々とつめかけてきた。しかし、すでに歌う人の予約が満杯で私自身は歌うのをあきらめたのだが、実は、同僚の一人の普通の人(女性)が、私がAC/DCを歌うと言ったら、そこでAC/DCの歌を口ずさんだのだが、その普通の人の声でさえ、中学からのロック好きの私の声をはるかに超えたいい声のロック声だったのだ。
だから、そこですでに完全にやる気がうせてしまった。完全に負けていたからだ。
脱線したが、義理の妹に、今度、ラウドネスのライブに行くのだ、中学のときからのファンなのだと説明し、ラウドネスのCDを爆音で聞いてもらったのだが、ニイハラ氏のボーカルをちょっと聞いて、「素晴らしいロックボイスじゃない!」とほめていた。
ニイハラ氏のロックボイスは、ぎんぎんに音が喉で炸裂している。
最近、録音したときに、自分の声を聞いて思うのだが、やはり、日本人声では英語が発音できない。硬く平たい音を出さないと日本語らしい日本語は喋れない。逆に、英語は、首の奥の響きをまさに、音色の決定的要素(弁別的要素)として、使っている。EARとYEARの違いだって、Yのところで、首の根元を柔らかくしておいて、ビリビリと響かせないと、出ない音なのだ。
日本人の発音でよいとはならない。喉の響き・音色が弁別的要素となっているからだ。
かず先生
倍音は、ギターのハーモニックスが分かりやすいですが、ある音に対して理論上はオクターブの整数倍の高さと低さの音が、これも理論上無限大に鳴るということです。
実際電子楽器でもない限り肉声もたいていの楽器も揺らぎがあって正確な倍音ではなくその周辺の音が鳴るらしいですから、さすがかず先生です!
無限大て、なんか合わせ鏡みたいで不思議ですね。
人間の耳では全ては聴こえないですが、これも喉発音の発声の方がより大きく倍音が鳴るのは間違い無いでしょうね。
また、聴く側も、喉革命経験者の方がより多くの倍音を聴き取れるんだと考えてます。
ということは…?
英語及び欧州言語の聴き取りの為の両輪は喉とシラブルですが、喉の効果は弁別的要素の認識にとどまらず、ひょっとすると倍音を含む音そのものの豊かな情報量をキャッチできるということではないでしょうか?
喉と耳は繋がってますから、喉がリラックスして開いていると耳も開く?
それで思い出しましたが、実は数日前から漠然と思っていることなのですが、喉発音って難聴のひとに良いんじゃないか?聴こえ方が向上するんじゃないか?と、確たる根拠はありませんがそんな気がしてならないんです。
で、今、倍音の話から音の情報量そのものかも?と来て、難聴の話と繫がりました。もし、そうであれば難聴治療になんらかのプラスがあるかもです。
そう言えば、かず先生の過去ログの
「耳が聞こえないままで生まれた人、でもインプラントをして、一応なんらかの音が聞こえるのは聞こえるアメリカ人の中学生にジーナが英語喉を教えたのだけど、それまでできなかった音を区別して言えるようになって喜ばれた。」
という話も、言えるようになったのは、聴くチカラが増してたから音を掌握出来て発音可能になったとは考えられないでしょうか?
と…、どんどんひとりで盛り上がってすみませんw
なるほど、難聴に関して、聞く能力が低いと理解するのではなくて、フォーカスの位置がずれていると理解するわけですね。
英語で言うと、日本人は、これまで喉音を雑音としてとらえていた、、さらに、シラブルにフォーカスせず、音の上がり下がりなどにフォーカスして、気が散っていた、、、と。
はい、だからこそ口発音をアンインストールして喉メソッドを実践すると劇的な変化が出る・・・。
同様に難聴で悩む人が劇的に聴こえるようになれば素晴らしいことだと思うのですが、残念ながら今のところ医師との繋がりがありません。
難聴教育勉強していたのですが、
医師など厚生労働省管轄分野と特別支援学校(旧盲学校、聾学校、養護学校)の文部科学省とのどちらにも普及していくのは至難のわざだと思います。
厚生労働省に普及をお考えでしたら咽頭、喉頭(耳鼻咽喉)の知識を取得した上で発言することがもとめられると思います。
どちらの分野にも先見的な考えの方をおられるとは思いますが、できるだけ科学化しないと受け入れられるのは厳しいかもしれません。
英語喉はすごくいいアイデアだとは常々思うのですが。。
喉発音をすると骨振動が増えることが考えられるため、少しは効果が見込まれる気がします(勝手な判断ではありますが)
難聴教育は独自の文化や教育方法を確立しています。ですが、音声言語にたいしては積極的に役に立つことは身に付ける土壌はあると思います。
詳しくはわかりませんが口唇の動きを積極的に用いる難聴派にとっては、英語喉は日本語に比べて口唇の動きが小さくなるのであれば嫌がられる可能性はあります。
アメリカ界(欧米)において英語喉が確立すれば日本側は反対をあまりしない傾向を利用するのもいいかもしれません。
英語喉メッソッドがおもしろいアプローチであることは間違いないとは思いますが。
長々すみません。
英語圏の難聴者と日本語圏の難聴者
同じ失調レベルの方だと定義した場合
どちらの国の言葉が補聴器を装用すると聞こえやすいんでしょうね?英語かなー?っと気もします。
ただ、補聴器開発も欧米が進んでいるため、英語圏の発音や周波数の帯域をよく拾うように作られている可能性もありなので、どうなんでしょう?
実験としては、まずmasaさんやKazさんに補聴器を装用してもらって同じ音圧レベルの音声を聞かせて
どちらが聞こえやすいか比較するのもいいかもしれません!
ただ、それでも失調の方の聞こえる周波数レベルにばらつきがある為、工夫をして実験結果をまとめると有効性が示せるかもしれません っと思いました。
医学をかじった私が妄信的に考えているのは、英語喉は根本的には声帯(喉頭)に存在する筋肉(輪状甲状筋や甲状披裂筋など)の動きに変化を与えているのではないかと思えてしかたがありません。日本語と英語の違いはこの筋肉の動かせ方や構えが違うのではないかと思っています。もちろん付随的に気管支が共鳴することも考えられますが一番の違いは筋肉の動かしかたではないかと思えます。
KAZさんは否定的ですが舌の筋肉の力加減や移動範囲も大きく影響しているとは思います。
私の勝手な推測ですが、、、!
最後に、The American Speech Language Hearing Association (ASHA)が喉発音に協賛されると驚くほどの影響を与えることができると思います。是非コラボして発音や音声の世界に革命を与えてみてください!!期待しております。
Zakuさん
専門的かつ誠実なご意見、ありがとうございます。
英語喉が広まれば、様々な人達の様々な不具合が解決するように思えます。
昨日も仕事の関係で海外の人と商取引する親友に英語喉の存在を、概略を説明したところ、それは良さそうだと、本を買う約束をしてくれました。
Masaさん
英語喉で劇的な効果が出てうらやましいです。
なぜこのような劇的な効果がおこったかがある程度まとめて発表できるといい科学資料になると思っています。今のままでは、Kaz、Jinaさんの民間療法で普及している状態です。科学的な思考や機関に属している方の賛同や実験が行われるとき、このメソッドがまた日の目を見るときではないかと思います。
私もMasaさんのように聞取り100%宣言したいなーとKazさんが仰るように音として聞き取れれば劇的に練習しやすいのは容易に想像はできるんですよね☆
Masaさんが気がついたこつなど宜しかったら是非おしえてくださいね。(Kazさんの勝手な一ファンとしてそう思っています)
Zakuさん
私の英語喉体験現在進行形ドキュメンタリーはmixi日記に詳細に綴っておりますw
すでに中編小説ぐらいのボリュームになってきてますww
ぜひお越しください!
Masaさん何度か拝見しておりますよ!わたしもMasaさんのようになりたいよー。
一部訂正です。
>詳しくはわかりませんが口唇の動きを積極的に用いる難聴派にとっては
難聴の方でも聞こえにくさをどのように補うかの手段が違います。その一つの派として口唇の動きを積極的に用いる難聴派の方がいるという意味で書いております。