長崎の雨さんもおっしゃっているのだが、喉を痛めないことはとても大切だと、、、改めて思った。
私の場合、息を吸いながら喋る練習で、ちょっと喉がひりひりした。それは、きっと無理をしたからだと思う。ネイティブは、誰でも、当たり前のように息をすいながら喋れるし、なんと声質もそんなに変わらない(私の場合、恐竜の声のようになってしまっているかも)。
逆にいうと、痛むようでは、力をいれすぎている、、、ということだ、、、ということができるだろう。
痛めているうちにできるようになる、、、というような考えが日本的な学習文化にはあるのではないかと思うことがある。高校の運動会での応援団の練習はそんな感じだった。ひじを痛めたピッチャーが、投げ込んで直せ、、、と言われた、、、というような逸話を聞いたことがある。
思うに、我々の文化DNAは、がまんとか、力を入れることが練習だ、、、という風に考えがちではないだろうか。逆にリラックスするとか、そういうことも大切だと思う。ゴルフのスウィングとかそうなのではないかなあ、、と思う。
リラックスしていると、気がたるんでいるとか、やる気がない、、、とか解釈しがちだ。これは文化の意味の体系だろう。
どこかで読んだのだが、日本に来た外国人のビジネスマンの振る舞いを見て、「わがまま外人」と解釈している人がいた。 それは、その外国人が、日本の会社側が予約したホテルを、その場でなんらかの理由でドタキャンしようとしている様子を見て、そう呼んだのだが、その「わがまま」と見える振る舞いは、キャンセルしようとしたこと自体が問題ではなくて、そうしているときの、西洋人の姿勢とか話し方の雰囲気がそう思わせたのではないだろうか。具体的には西洋人がリラックスしている様子だったのではないだろうか。
日本の文化コードでは、横着とか、横柄とか、わがまま、、に見えたのではないか。
ある振る舞いが、異文化において違うメッセージを送っている例である。異文化と書いたが、実は日本 対 西洋、、、というかんじが多いように思う。
まとめると、喉を痛めないようにしてください、、、ということです。喉が痛くなることは、決して、よいこと、練習がうまく進んでいることの結果ではありません。逆に、喉が痛くなるようでは、リラックス度がたりないのだな、、、と解釈してください。
やっぱりそうなんですね。練習を始めて1週間ですが、喉がひりひりして水ばかり飲んでいます。発音を早く修正して次の段階(ボキャビル等)に進みたいと思うのですが、御本に「1日20分以上練習しない」とあり、「それでは時間がかかりすぎる」と感じていました。
喉の痛みに対する慣れを待つのではなく、やはり痛くならない方法を追求すべきなのですね。
SYさん、喉を痛めるのはやはり力が入っているだと思います。私の場合も、ちょっと息を吸いながら喋る練習でひりひりしましたが、しょうがないので、そのひりひりを利用して、喉の全体を感じました。
英語喉が正しくできていると喉が痛くなりません。大学時代によくビートルズなどの歌を下宿の友人と歌っていて、翌日喉が痛かったものですが、現在では、どんなにどなっても痛くならないです。
それは、首をリラックスさせたかたちで喉発音しているからです。応援団の逆ですね。
音声で説明してみました。
http://www.estat.us/blog/nodogaitai.wav