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英語喉パラダイム的には本質的ではないトピックだと思うのだが、うちで今日本語を5分でも喋ろうと思い、ジーナに、「電気つけてくれ」とたまたま言ったら
便器?
と言われてしまったのだけど、どうも、喉発音による日本語は、聞こえにくいようだ。日本語のときは、はっきり、くっきり喋らないといけないと思う(そういえば、アメリカでの剣道の練習中、喉発音の日本語で指示が出るのだが、何を言っているのか良くわからないことがある)。
「5分でも日本語を喋ろうか」と言ったら、
「喋りません。疲れた。」
と来たので、それは、「疲れたので」とか「疲れたから」じゃないかと言ったのだが、そういえば、英語だったら、別に、わざわざBECAUSEをつける必要もなく、単に、I AM TIREDだけで自然だ。
なんと英語とは簡単な言語だろうか?
IFだって絶対に必要ではない。
If YOU LIKE IT, GO BUY ITを例としてみよう。
YOU LIKE IT? GO BUY ITでよい。
I don't like the author. I don't read his books.
だって、BECAUSEを使う必要性はない。
IFやBECAUSEというのは学校で習うし、使ってもいいけど、使わなくてもいい。
英語を上達させるためには、シンプルな英語で話しはじめないといけない。それが、まさに、ネイティブの子供がやっていることだからだ。
しかし、人間の脳はすごくて、そのうちに、結構、難しめのことだって言えるようになってくる。
KATSUさんも料理をされているらしいが、私もするほうだけど、魚ばっかり食っているうちに、こうしたらどうだろう?ああしたらどうだろう?と人間の脳というのは勝手に楽しみながら、シンプルなものを複雑化していくものだ。
まずは、SOだけでいいのじゃないかな。つなげる表現は。
よく考えると私自身は、口発音時代から、英語が喋れたほうだが、簡単に言うことが普通だと(無意識に)思っていたので上達したのじゃないかと思う。高校3年生のときに、アメリカからの留学生が1日、訪問してきたときだって、初めての英会話だったが、余裕で喋れた。YOU LIKE MICHAEL JACKSON?とか、IN JAPAN WE SAY MA-I-KE-RU-KA-KU-SO-Nと言ったことを覚えているが、通じていたし、受けていた。簡単な単語を使っていたが、会話というのはそういうものだ。
ジーナは私のことをさして、日本でもっとも、「適当な人(英語ではHALF ASSな人、、、直訳すると「お尻が半分」だが、)」と称することがあるが(特に日本人は、細かいことをすることに優れているにもかかわらず)、それは、例えば、シリアルの箱を開けるときに、どちらの方向から開けるかを無視して、ただ開けるとか、そういうことを指しているのだけど、だからこそ、英語ができるようになったのかもしれない。
英語がシンプルでいいというのは、それは初心者だからシンプルでいいということじゃなくて、実際に、ネイティブは(これは日本語でも同じだと思うが)シンプルに喋っているからだ。そしてその理由は、言語と言うのは、コンテクストのなかで繰り広げられるもので、人間というのは、コンテクストのなかのほんの一部の情報として言語を使っている。
まさにネイティブでも、当然、「以心伝心」をしているので、いちいち、全部、言う必要がない。日本人の多くが、日本人は以心伝心をしているのに、ネイティブはしていないと思いがちだけど、それは、英語力不足の問題だろう。
だから、BECAUSEとか、IFを言わなくても、当たり前のように通じるのである。
日本人が英語を勉強するときに、英文法をまず勉強してからと考えてしまうが、問題点は、英文法というのは、言語において発話可能なもの全てを、網羅していて、その解説の順番も、大切なものからということになっていない。また、日本語に訳したときに、違う訳になる、、、という、非常に恣意的なる理由で、「用法」が10個も15個もあったりする(例はITであり、天気を指すITとか、漠然としたものをさすITとか)。
もちろん、日本人がだいたんに独自の範疇などを生み出したとは考えにくい。元々は、ネイティブが用法を色々考えたのだろうけど、その元の人達は、科学者ではなくて、人文系の文法マニアなのだろう。人文系というのは、シンプルな原理で言語を説明してやろう、という立場でなくて、文化活動の多様性を色々と記録してやろう、解釈してやろう、という立場になりがちだ。目的が文化の記録、解釈であれば、その描写文法は、機能的には使いにくいのではないだろうか?
また、その特に日本の英文法には言説の「ねじれ現象」が起こっている。それは、テストを目的としているからだと思うが、「書き換え」などという概念・実践が存在する。例えばだが、
I said to him, "where is the station?"
を
I ASKED HIM WHERE THE STATION WAS.
と「書き換える」ということだったりするが、そんなルールは、英語には存在しない。テストをして、国民を仕分けする国家的要請のために、英文法をはじめとするが「学校知識」が言説のねじれ現象を起こしてしまっていて、そのねじれ的なものを、「勉強」とか呼ぶのであるが、そういうのは、全く、英語力と関係していない。
ネイティブの子供が英語ができるようになる過程において、そんな、変換の練習なんぞ、しておらないのである。
書き換え問題なんて、外国にあるの?私自身、スペイン語をマスターする過程において、一度も変換など考えたことがない、、、だから喋れるのかもしれない。
(DO YOU?で聞かれたら、YES, I DOが正しい、、、?というのは、似たような問題で、こら~、勝手につくるな!と思ってしまいます。そういうのが可能であることと、ルール化してしまうというのは、言説空間における「ねじれ現象」。)
英語ができるようになるためには、ネイティブの子供がしていることを完全にまねる。とにかく、ネイティブを相手に頭を使いながら、英語をシンプルに使うことだ。シンプルにと思っていても、楽しいものだから、結構、難しいことも言えるようになる。
おそらく、MASAさんや、KAZYさんが、やってきたことは、そのことに違いない。私だって、大学1年のとき、留学生と英語を喋ることに専念していた。これこそが、基本である。
さて、会社のクラブで、トーストマスターに参加しているけど、それはスピーチクラブだ。アメリカ人は10秒に1回はSOと言っている。SOはできるだけ言わないようにしようと注意しているくらいだ(あまりにも、みん
なが言い過ぎるので)。逆に、SOを言わないようにすれば、やや豊富な表現力が身につくということだが、言語を学ぶ立場からみると、SOをまず使って、シンプルに文をつなげるのがよいだろう。
まずは、喋れないと、読んだり、書いたりできない。
ネイティブの子供でさえ、人生の最初の5,6年は、読んだり書いたりしない。
喋る機会がないという人は、本サイトのメンバーになると、日本語を勉強している外国人の人とお友達になれますよ~。メンバー増えています!今のメンバーは以下のとおりです。
http://nippondream.com/eigonodo/members-list
明日から、学会参加のためロサンジェルス付近に行きます。会社から大勢で行くのです。リトル東京とかに本屋があったと思うのだけど、英語喉、置いてあるかな???
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Aha! 最初から、従属節、主節のある文で話そうとしているから、話し始めによく固まってしまうことがよくあるのだ!ということに気が付きました。ありがとうございました。
カズ先生、こんにちは。
日本は今週は、全国的に晴天のようです。東京では、一向に秋の気配を感じません。
秋の味覚としてレストランや居酒屋で出される物は、ほとんどが輸入品だそうです。
私もFacebookに登録してみたのですが、どうすればいいのか、まだよく分かりません。(笑)
それにしても、文法の書き換え問題とは、昔はよく学校でやらされたものでしたね。
私は、数百個のパターンを覚えさせられた記憶があります。
あれは、全て無駄でしたか。
日本では今でも、社会人に対しても、TOEICの文法問題への対処法として、書き換え問題がテキストに詳述されており、あの試験で高得点を採りたい人達は、齷齪と覚えるのに苦労しているようです。
カズ先生からみて、あのTOEICテストというのは、どう思われますか?
私には、会話はもちろんのこと、英文の読み書きにも、あまり役立たないように思えるのですが?