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広島は日本なのか、今のところわからなくなってくる。
それは、幼馴染二人と昨晩、うちで談笑をしていたのだけど、彼らは、完全に喉発音で日本語をしゃべっている。それだけではなく、表現も英語的だった。感情も豪快に喉から出てくる。
そのとき3人目の友人に電話したのだけど、声が、英語のようにつながっていて、全然切れていない。彼の感情がストレートに伝わってくる。彼は忙しくて今回会えないみたいだけど、その気持ちが伝わってくるので、私も喉発音でかえした。
アメリカの日本料理屋で韓国人が熱いかんじの会話をして、朝鮮語って情熱的だなと思っていたのだけど、私が聞いている日本語は英語的だ。
昨日は、父に英語喉を教えたが、とても簡単に喉ブレーキがはずれる。
母と妹は、声が韓国語をしゃべる人たちの声に似ていて、そもそも音があまり切れていない。
もう一人の妹は、完全に喉発音で喋っているのだけど、「もしかして、息吸いながら喋れる?」と聞くと、いとも簡単に、それも、普通の声に近い声で、喋っていた。
5歳の姪は、そもそも喉発音で、英語を教えると、まったく同じ発音で繰り返してくる。
つまり、今までのところ、広島のここは、まるで海外である。
幼馴染が歌をくちづさんでいたが、」これも喉自慢状態で、プロ並みだ。
そうだったのか。
私が、英語ができた理由。
このあたりは喉がゆるいのだ。
大学に進んで、最初に外人にであったとき、なにを言っても通じた。ESSでいきなり新人のスピーチコンテストみたいなのでも入賞した。
今考えると、なぜ他のESS部員が発音に苦労していたのか、理解できない、、、。
そんなもんだと思っていた。
しかし、このあたりは、喉発音で日本語をしゃべっていて、教育を受けるために、都会にでて、会社の人間関係のなかで正しい発声法をしているうちに、喉発音から遠のいてしまう可能性はある。
昨日、英語喉を説明させていただいた大学の先生も、いきなり喉発音で英語である。私もあまりに先生の英語がうまいものだから、となりにうちの父や、運転をかってでていただいた父の友人がいることを忘れて、英語でその先生と話してしまったりで、英語と日本語をいったりきたりだ。
父や父の友人の喋っている広島弁もシラブルが中国語・英語に似ている。
とても皮肉なのだが、すでにこのように地元にある喉発音をそのまま英語教育につなげればよいのに、なぜか英語が受験科目になっている。
すでに、人が持っているものをそのまま生かしたいものだ、、、。
だから地元の中学の先生たちに紹介に行きたいと思うし、実は、勉強が嫌いな生徒だって、発音と聴き取りは広島弁をいかせば、すぐにできる、、、
しかし皮肉にも、中学校はそれどころでなくて忙しい状態なので、コンタクトできそうもない。
さて、広島は日本なのかと書いたが、実は、これこそが本来の日本ではじゃないのかと思った。