もう少しセンター試験を見てみよう。第2問。
よく昔から、使わない表現を教えていると批判があるが、実際、どういうことかというと、実際には、そういう言い方=考え方をしない表現なのに、語彙をテストするために、つくりあげたような表現を使っているということだろう。
脳の自然なプロセスで出てくる英語ではないということだ。
決して言い方が古いという意味ではない。また厳密には、使わないということはない。そういう言い方=考え方をしないような表現ということだ。
この違い分かるだろうか?
日本語をぎこちなく訳しているように思われる。
それはすべて試験をしなければいけないという縛りから起こっていることだ。つまり、試験を作る側の都合で、そういう表現になっているのである。
実際に、その調子で喋ろうとすると、ものすごく緊張してしまう。英語学習とはそういう表現を覚えることだと思ってしまってはいけない。教える側、試験を作る側の都合で、そういう試験の内容とか形式になっている。
都合というのがキーワードである。
よく「自然ではない」という言葉で批判される受験英語の文だが、もっと厳密に考えると、自然な思考回路からでてくる文ではなく、試験という縛りのなかから生成される文だということができる。
Have you handed in the English assignment?
No, but I'm halfway through it.
HAND IN=提出する
THROUGH IT 終わった?日本語に訳しにくい
というようなところがテストのポイントだろうが、聞ける、言えるということなしに、これらの表現を覚えても、効果が薄い。
実生活では
Are you done with your paper?
No, not yet.
が普通であろう。というのは、この二人は、どうせ、同じクラスをとっているのだから、ENGLISHがどうのこうのという情報はいらないからだ。
口語的だということがポイントではない。脳がいかに情報を処理するかという問題である。
一般的に、センター試験につかわれている素材は、日本人が書いて、ネイティブが、表面的に添削したような文章に思える。私は、英語を読むのは、ネイティブ以上にすらすら読めるという自信があるし、新聞やらタイムやらでも、なんら問題なく、あれ?これどういう意味などと思うことなく読める。英語を母国語としない外国人でも、大学や大学院に英語圏で行った人は当たり前のようにできることだろう。
そんな私でも、センターテストの素材を読むとき、つまってしまう。意味は分かるけど、語順が自然な流れでなく、なんとなく、(もう書いたが)、日本人が日本語を訳して、それをネイティブが表面的に添削したような感じだ。だから、ときどき、読み直しをしてしまう。分からないということではないけど、え、これでいいのかな?という感じで2回読むことがある。例えば主語が異常なほど長かったりする。
目が先走りすることもある。あれ?普通だったら、ここでこの情報がくるはずだけど、どこにある?みたいな感じであせって、目が先を読んでしまう。例えば、履歴書なのに、最初に名前が書いてないとすると、ありゃ?と思って、目を先に走らせてしまうだろう。それと同じ感覚だ。
試験という縛りが問題だと思う。
参考 センター試験問題 英語
www.estat.us/blog/shikenmondai.pdf