同志社大学にまずESSに入部した。おじさんが大学時代に立命のESSで活躍したと聞いていて、父が薦めてくれたので、じゃあ、入ってみようかと入ったのが、これがものすごい大所帯。
なんと当時、一回生だけで100人近く部員がいた。だから、たくさ~んの友達ができた。
で、昨日、ふと思い出したのだけど、そのときに、誰から刺激を受けたかというと、高校時代に1年留学をしていたという人達だ。同級生もいたし、先輩もいたし、後輩もいた。
ESSに大集合していたのだな。
帰国子女もたくさんいたけど、彼ら、彼女らは、もう英語ができるので、ESSには入らないし、またなんというか、同志社国際高校とかから来ているので、社交の範囲が違って、一緒に遊んでくれない感じだった。リッチな感じもした。バブリーの時代だし。
さて、その当時、たくさんいたのだ。高校のときに留学をしていた人達。彼ら、彼女らは、本当に英語がぺらぺらだったし、さらに、留学のときの話などをしてくれた。
アメリカで彼女ができたとか、モンタナで誕生日の日に、校長先生に呼ばれたのでなんかいなと思ったら、全校生徒が総出で、サプライズの誕生会をしてくれたとか、苗字にSHITという文字があったので、クソと呼ばれたとか、、、ニュージーランドではこうだったとか。
AYUとか、YAUかなにかYの入った名前のついた高校留学の制度ってある?それで行った人だったと思う。
そ~んな面白い話をたくさん聞かせてくれたのである。
本当にありがとう!と思う。
確かに、英語がうまかったし、あ~、なるほど、この人達のように1年ぐらいいけば、なんとかなりそうだ!という希望も与えてくれた。
その人達と一緒に、また普通の他の学生と一緒に、ランチのときに集まって英語を喋る練習を毎日か、あるいは一日おきかな?にしていたのです。
でも、しかし、やはり歴史的なものもあったってことだと思う。当時、日本の経済がよくなっていって、高校留学を経験をしていた人口が増えていて、そのことの恩恵に授かったわけだ。
戦後、大変だったと思うけど、私達のお父さんやお母さんの時代が、経済を築いてくれたわけです。
でも、今、逆に、多難の時代になっている。
それは、英語ができないのに、英語について語りすぎる言説があり、それらを聞いていると、本当に英語ができなくなるのではないかと心配する。
語彙を増やすのは良い。文法を勉強するのはよい。
でも、じゃあ、どれだけそれらを使って英語を喋ってますか?使っていますか?
私は、その高校時代に留学している人達があまりにカッコよかったから、自分もどんどん英語を使ったわけです。
またESSの普通の部員やら先輩だって、貪欲なほどに英語を使っていたわけです。
そのときに、断じていえるけど、
Rのときに唇を丸めろだとか、口を大きくしてこの母音を発音しろ、、、なんてことを言っていた人は、一人もいなかった。実際、ネイティブはそうしていないのだから、そもそもそんなことをするという感覚がなかった。
なにかが、80年代から今の間に変わったのだと思う。
こないだ、高校の国語の教師をしている私の級友で、広島県で賞をとったほどの実力者の友人が、こういっていた。最近の子供は、情報が多すぎて、どれを選んで良いかわからない状態になっている。
やっぱりそれ本当だ。
80年代は、日本人は、英語に直接関わっていたと思う。しかし、21世紀となり、なにか変だと思う。
私の勘だが、おそらく80年代は、私やASHURAさんやZENさんや長崎の雨さん、天満さん、RONさんなどのように、英語ができる人を生んだけど(まだいるはずだ、連絡ください)、どうがんばっても、英語ができなかった人も生んだのだと思う。
口発音で2ビートの場合、その人達のほうがどうしても多いわけで、その一部の人達の言説が、ネットやら本やらで、勉強法論を席巻してしまったのではないだろうか?
そうしたら、英語は議論さえできればよいとか、日本人なりの英語があってよいとか、色々な意見が出だしたのではないだろうか??
だから、勉強方法ばかり一人歩きをしてしまっているのではないだろうか?
もっとシンプルに聞くべきである。自分に。
今日、誰かと英語喋った?昨日は?じゃあ、3日前は?
それだけだ。
実は、このやや悲観的なエッセイを書いたのは、英語圏に3年いるのに、日本から英語教材をとりよせて勉強しているというBLOGの人を読んでかわいそうでならなかったからだ。英語圏にいるなら、本当は、そこで喋って、使えばよいのだが、、、。
英語喉送るから、連絡先教えてくれ。
この時代、本当に、私は心配する。なんと日本にいるネイティブでさえ、日本人が英語を学ぶ前に、彼らの日本語がうまくなり、日本人の日本語英語でさえ、理解してしまうという世紀末状態である。
英語の勉強環境は悪化しているのではないか????
アドリブ英語で、今日のテーマを喋ってみました。
同志社大学のそのころ私はボクシング部。
プロレス部はよく見ていたけど、ボクシング部はあまり知らなかった。
ジェイスン末吉とか、チン カシュウとか元気かな???
一瞬、名前忘れたけど、アメリカでPHDとって、今、社会学の先生をされているかたとか。