さて、天満さんが、発音セミナーをされるそうです。関西+関東での開催だそうです。東京のほうが、応募者の動きが速いと書いてらっしゃいました。天満さんのサイトを見てみてください!
ここですーー> http://processeigo.com/?cat=24 2月だそうです。
さて、http://ahalfyear.blogspot.com/2011/01/blog-post_15.html で三羽さんが、渡部昇一氏の英語教育?論みたいなのを紹介されていた。知的余生の方法という本からの抜粋だ。
全然、私は同意できない、、、。
日本人が英語ができないのは、英語におけるヒラガナ(カタカナでもいいが、、、まあカナ)が何か知らずに聞いたり、発音しようとしていたからだけの理由だ。さらに喉で発音しないと、カナ=音節=シラブルに音が入れることができないということも理由だが、まあ、一番早い説明は前者だ。
それだけの理由である。例えば、
それだけのりゆうであるたとえば、、、
とヒラガナだけで書くと、どこが区切りから分からないから、理解しにくい。日本人が英語を聞くとき似たような混乱が生じるのである。日本人以外は、シラブルの構造が英語に近い言語を喋る人ばかりなので、聞き取りができる。発音もまあまあできる、、、ということだ。
さて、思うのだが、結局、文法が出来る人も出来ない人も、英語ができないのだと思う。語彙が大きい人も小さい人も英語ができない。
しかし、私のアパートの建物に4ヶ月前に引っ越してきた、韓国人の夫婦の5歳ぐらいの子供がたった4ヶ月で、英語をぺらぺら喋っている。
私が5歳の姪に日本語で(電話で)喋るとき、あ、この言葉知っているかな?とか遠慮がちに日本語で喋って通じるのだけど、この韓国人の子に、普通に英語でしゃべって、なんでも通じているようだ。もちろん、子供に喋るのだから、難しい言葉を使うことはないが。
渡部氏の文を孫引きすると、
>ところが日本にいる時にちゃんとした英語の本も読めず、文法的に正しい英語を書けない人が留学しても、だいたい英米人から見た文盲の人のまま帰国することになる。
この発言の仮定となっているのは、発言者である渡部氏は英語の本が読め、文法的な正しい英語を書ける、、、ということだ。
しかし、英語ができる私の立場から述べると、本当に英語が読めたり、書けたりできる人の感覚から発せられるディスコースではない。
読める、、、というのは主観的な経験であるが、私や、あるいは私が仕事を一緒にしている中国人や韓国人の同僚は、英語を超特急で読むことができるし、そのさい、文法のことなんて考えていない。全ての単語をあたかも名詞のように扱い、飛ばし読みをする。だから、読むために文法が大切だという感覚がない。もし、そういう感覚がまだあるとすれば、それは英語を読んでいるということにはならない。まだまだレベルが低いとういことだ。リスニングでさえ、文法に頼ったような聞き方をしているということは、それはリスニングの能力がまだまだ足りないということだ。いや、英語喉をまだ知らないということだろう。
厳密には渡部氏は上のようなことは言っていないが、ちょっと調子にのって、書いてしまった。クリティークとしては、本当に英語が読めていれば、読めていない人をつかまえて説教じみたことを言うという感覚がなくなるということはあるだろう。あまりにも読めるのが当たり前なので、読めない人がいれば、もっと態度がやさしくなるであろう。
さて、ここからが重要。
文法的に正しい英語を書く、、、という表現、、、、それはその発言者が英語を本当に正しく書いていないということを示唆する。
というのは、私や、私の中国人の同僚、さらに、ネイティブたちの書き方は、文法に頼っていない。文法というのは、当たり前の部分だ。たよっているとすれば、非常に抽象的であるが、前から読んで、論理的にMAKE SENSEし、さらに、す~す~と、読者が必死に考えなくても、意味がとおるかということである。
文法をしっかり駆使して、文章を書く、、、という考え方は同時に、その発言者が英語を書くことが不得意だということを示していると思う。
ちょっと英語がうまいと思われている日本人が書いた文章を読んでいると、例えば、こういう構文がよく出てくる。あくまでも例だが、、、
Facing the situation, the team decided to ...
おそらく、日本人が考えるのは、FACINGは分詞構文であるから、その意味上の主語はTHE TEAMである、、、という風に考えるだろう。まずはTHE TEAMというのが頭に浮かび、そこで逆行して、FACINGを書く、、、と日本人は、いわゆる文法(受験文法)に頼りながら文を書くのだが、
これは逆なのである。
私は、私の中国人、韓国人の同僚、そしてネイティブたちは、その文の前に続く文から、うまくつながるような形で、文を書く。だから、文の流れに沿って書いている。逆行はしていない。
繰り返す。
文法をしっかり駆使して、文章を書く、、、という考え方は同時に、その発言者が英語を書くことが不得意だということを示していると思う。
抜粋の最後はこうまとめられている。
>つまり博士論文を書いているようなアメリカ人の学生の英語よりも中谷氏の英語がー受験参考書で学んだ英語の方がー、文法的に正しかったという話なのである。私も体験上まったく同感した。(知的余生の方法(渡部)156ページ)
こんなことは実際上はありえない。しかし、私にも経験がある。あるとき、私が書いた文章を同僚のAさん(アメリカ人)に渡すと、彼がある部分にTHEを足した。次に同僚のBさん(アメリカ人)が、見ると、今度はTHEを消した。
さて、この経験で私は、渡部氏のように、それ見たことか。日本人の文法力は、アメリカ人のプロよりも上だと判断するのだろうか?
いや、違う。実は、私の書いたもともとも文が、たまたま論理的に弱く、THEがいるのか、いらないのか微妙に、どっちでもよい感じになってしまっていたのだ。つまり、私の書いた文があいまいだったのである。
大昔の誰かが一人言ったことを引用し、私もそうだった、、、だけでは、やや説得力にかける。
ネットが発達し、多くの日本人が留学している時代、、、まだまだ口発音なので、いえない聞けない状態で日本に帰ってくると、微妙にアンチアメリカになることは昨日書いた。
アンチアメリカで渡部氏の書き物を読むと、救われたような気になるのではないだろうか???