話を始める前に、こんなことを紹介したい。アメリカで働いているので、英語ばっかりなのだが、たまに電話で会議をする。そのときに特に思うことがある。アメリカ人の英語が男も女もがまがえる、うしがえるのような声なのだ。ちょうど、広島の田舎の田んぼで夏にがーがーいっているカエルの声に似ているように思える。
電話の音声だから、喉発音のある特徴(びりびりした感じ)が強調して聞こえるのか?あるいは、電話会議の参加者は皆、相手が見えない。だから、大げさにしゃべらない?から喉に95%頼るのか???
一度聞こえ始めると、やはりカエルの合唱のようである。
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2年ほど前、人類学者2人(1人、日本文化研究をしているアメリカ人、1人日本人)に、しかられた。日本人でもネイティブと同じ発音ができるようになると言ったら、そんな必要はないと言われた。日本人には日本人の発音があってよい。世界の誰でもなまっているではないか、、、。
日本人の英語が聞きにくかったとしても、世界の人はがんばって聞き取らないといけないのだ、、、と。
喉発音のことを先に言うからいけないのかもしれない。わざと黙っておいて、3ビートから始めるのがよいかもしれないと思い出した。
英語にはシラブルというのがあり、例えばSPRING ROLLは2シラブルです。これを日本人は6シラブルで言うから通じないんです、、、と。
これは英語のカタであるから、これにまさかたてつく人はおるまい。日本人以外のほとんどの世界の住民(中国人も含め)が2シラブルでいう単語を、いや、私は8シラブルで通す、、、という人はいないと思う。
中国人の場合、確かに口発音であることは同じだが、シラブル(少なくともシラブルの数)は正しく発音しているのだ。さらに、中国人の場合、英語圏に長く住んでいると、喉発音になってくる人が多い。また映画などでも聞けて、理解できるようになる。だから、例えば米国のプロの世界には中国人がたくさんいて、当たり前のように英語を使いこなし、大活躍をしている(そしてその人たちが祖国へ帰りビジネス界で大活躍を始めている、、、日本人も喉と3ビートさえやれば、留学後、海外で仕事の経験をつむことができるのだが、、、)。
喉、喉、、、というと、人の癇癪にふれることがある。たかが声じゃないか、、、と思われてしまうからだ。実際は喉を始めるとよくわかるのだが、ネイティブ同士はウシガエルが鳴くような音で音を区別し、会話をしているのだ。ただし、喉をやる気が無い人には、ぜんぜん、こういう話は通じない。口だと思い込んでいるから、喉の音をけずって聞いてしまうのだろう。また、やはりネイティブ同士の英語を聞かないとこの音は分からない。
一度、喉のことは言わないで紹介してみようと思う。実際問題として、LとRができなかったり母音の区別ができなくても、3ビートさえできれば通じるからだ。
喉を先に言うと、馬鹿にされたような気になるかもしれない。だって、日本語の音は平たく、英語は立体的というと、価値的に英語のほうがかっこいいとかセクシーだ、、、という感じで、馬鹿にされているように聞こえる。ただ、これは主観的なことだ。平らな音のほうが、日本文化のコンテクストのなかでは、謙虚さ、誠実さを出しやすい(英語のコンテクストでは音の平らさ、というか、それに付随する「短さ」は不快感・怒りを示すので注意がいる)。
芸術的な観点から見ると、口発音のほうが手が込んでいる、、、ということを知っておいてほしい。高度なレベルのアートである。さらに、喋る相手との権力関係によっては、口発音度を高めるわけだから、またしても手のこんだ記号体系である。この芸術的に高度な発音法を私は誇りに思う。さらに、喉発音をマスターすれば、英語は英語らしく、日本語は日本語らしく話すことができる。二つを完全に区別し、それぞれの言語に誇りをもちながら喋ることができるのである。
逆に、喉発音は犬でも牛でもしていることだ。喉発音をマスターしたければ、覚えてきたこと、社会化されてきたことを一度捨ててみることだ。幼児のときは、皆、喉発音だったのだから。
人類学にはエスノグラフィーという手法があるが、これは、現地に混じり、現地の人の文化を観察する手法だ。口発音で西洋文化に入っていくと、現地の文化がわかりにくい。観察する相手が、観察者の喋り方に影響を受けてしまうのである。あ、この人は外国人だな、自分の文化を共有しないな、、、と無意識に思ってしまうのである。喉をつかって西洋という現地にはいるならば、それまで気がつかなかった西洋が見えてくる。