本日は英語以外の言語を勉強することについて書いてみたいと思います。
今日は第1話で、明日は第2話を配信させていただきます。
私はスペイン語を話しますし、理解もできますが、実は、これができるようになったのは15年ぐらい前の話なのです。もっとさかのぼって、30年ほど前に、メキシコで3か月ホームステイをしました。その後、スペイン語をジョーク程度に話をしたものの、まさか、その後、40歳ぐらいの時に、理解できるようになるとは思っていませんでした。
まず大学で1年が終わったあとに、アメリカで語学学校に行きましたが、その時に、アメリカが非常に退屈であったのと、英語をあまり話す機会がなかったように思えたので、たまたま大学の友人が行っていたイギリスのイーストボーンというところに行ってみたのです。
アメリカ人はあまり外国人に対して英語を教えてくれようとしないと思います。日本にいた方が日本に興味のあるアメリカ人や外国人がいるので、当時はアメリカに来たのになかなか英語を話す機会がありませんでした。
ホームステイをしたら、フィリピンの家族で、それはいいんですけど、ルームメートが東京出身の隆君(仮名)だったのです。日本を出たのに、日本語だったわけです。
それでイギリスに渡りましたところ、アメリカと同じで、イギリス人がわざわざ日本人を歓迎してくれて、英語を教えてくれるという雰囲気はありませんでした。
が、語学学校にたくさんのヨーロッパ人、中東、アフリカのかたがたがいて、とても仲良くしてくれました。歩いてうろうろできる街だったというのが大きいと思います。
アメリカの語学学校にスイス人がたくさんいましたが、自動車の国なので、なかなか、社交が難しかったです。
イギリスでは退屈ということはなかったです。海が近くて、街も非常に美しかったです。
メキシコ人のクラスメートの女性と仲が良くなりまして、そのかたは、ビートルズのジョージハリソンファンでした。
日本人の友人もいました。彼は大学の1年目によく下宿に遊びに来ていて、将来、留学しようみたいな話をしていました。
メキシコ人の女性、日本人の友人、そして、ドイツ人の女性と私の4人が仲良しグループのような感じでした。
その女性がスペイン語をちょこっと教えてくれていたのですが、メキシコに来て、語学学校に行ったらというので、3か月イギリスにいた後に、今度はメキシコに行きました。
するとメキシコでは、そのかたの家族が、家族同然に接してくれて、ついでに、歓迎されながら、スペイン語を毎日話すという、、、
日本人としては、留学ってそういう感じだろうなと想像する世界があったのです。
つまり、
アメリカは、、、来てみたら、ルームメートが日本人で、ホームステイはフィリピンからの移民の家族(英語になまりがあったので、少し残念な気がした。当時はね。)。そして、英語を話す機会がそれほどないように思えた。
イギリスは、アメリカと同じような感じだけど(つまり、イギリス人が英会話の相手をしてくれる感じではなかった)、、、が、、街がきれいでうろうろできて、他国からきた留学生と仲良くなれた。
そして、ついにメキシコ、、、これが、我々が想像する海外生活だったのです。
ルームメートはホストブラザーで、当時高校生の最終年度だったのだと思います。英語を勉強したいから英語で話してもいいか?と言われました。スペイン語も話しましたけどね。
その友達もよく家に来て私と話します。
家族もいつもいて、スペイン語で話してくれます。
ブラザーが一度クラブみたいなところに連れて行ってくれましたが、金髪で、モデルのように(当時はそう見えた)メキシコ人の女性が英語で私に話しかけてくれたのを覚えています。
アメリカではありえないと思いました。まるで自分を特別扱いしてくれているような気がしました。
日本人が日本で考えるところの、周りにちやほやされる「留学生」という感じ。
語学学校のある大学のキャンパスだったか、4人ぐらいの大学生に囲まれて、英語で意見をもとめられこともあります。
もしかしたら、アメリカからの留学生が日本で、良い待遇を受けたりしますが、似た感じだったのかもしれません。
さらにスペイン語のクラスですが、半分はアメリカ人。仲良くなれました。ヨーロッパの人たちもいました。帰国してからも、アメリカ人のかたと手紙を交換したぐらいです。
この経験があったから、アメリカ人とも友達になれたのですよね。
3か月たって、スペイン語はまだ片言ではありましたが、メキシコ文化にどっぷりつかって、生活することができました。
ホームステイ先のホストファーザーはお医者さんでしたが、家賃、食事代がいらないというのです。せめて帰る前に、レストランにみんなで行って、自分が持っていたお金で払いました。
それでは、続きはまた明日、よろしくお願いします。