昨日は、ワインテイスティングの経験などを書いた(メンバーオンリーの記事)。

15種類ぐらいのワインを少しづつ飲んだ。自分の期待としては、新しいことに出会い感動すること、、、。

http://blog.with2.net/link.php?709532:1932

飲んでいるうちに、うわ~、こんなすばらしい世界があったとはと感動したい、、、しかし、私にとっては、単なるすっぱい飲み物にしか感じられなかった、、、。

ただし、オープンマインドで望んだ。3杯目ぐらいまでで気づいたのは、自分は飲む直前に、鼻からの息を完全にとめているので、香りを無視していたことに気づいた(ジーナは、まず香りを楽しんでから試飲していたのでそれを真似)。

さらに、すっぱいなあと思っていて気づいたのだが、ワインとは肉料理などと一緒に飲むわけで、その場面を想像しながら。

しかし、うわ~、すばらしいな~という感動にはいたらなかったのでした。

ただし、ワインというのは、食事とか、楽しい会話の一部として起こるものだから、楽しみ方が大切なのだろう(味だけをとりあげて、すっぱいと非難するのは、非常にまずい)。

スノーケリング(海で泳ぐ)には、感動して、これから何回もやりたいなと思っている。剣道も楽しい。

ラップトップにコーヒーをぶっかけたので、分解して、ついに自力で直したのだが、ぞくぞくした。

気づくと、子供のころやっていたことばかりだ。

自分を発見するとは、そんなものなのかもしれない。

そんな感動に多く出会いたいものだが、今日はカントリーミュージックを紹介したい。

昨日、ジーナがこれ聞いてみてといって、うわ~これすごいと思った曲を皆さんと聞いてみたい。

Dolly Parton さんの、I will always love youだ。最近、なくなったホイットニーヒューストンさんが歌って有名だが、オリジナルは彼女が作ったのだ。彼女はけばけばしい服や格好で有名なのだが、こんなにすばらしいアーティストであることを知らなかったとは。

歌詞はとても悲しい歌なのだ。この歌を聴いて、涙が出る気がすれば、正しく聞いているといえる。

さらに、英語という言語の深さを感じることができるだろう。

日本語で、「つばさをください」という歌があり、皆さんも合唱したことがあるだろう。しかし、あの歌は

はげしく悲しい歌なのである。

「願いがかなうなら、、、つばさをください」

というのは、願いがかなわないのだから、非常に悲しい歌なのだ。たしか身体に障害を持つ方の作詞の歌だ。

ところが、中学生のころ、私、そして私たちはただ単に大きな声で口を大きく開けて歌う、、、ということだけやっていた。

音楽の先生、あるいは、集会のときに歌うなら、担任の先生には、

口の開け方がたりない、、、

という指導を受けたが、あの詩にある、はげしく悲しいテーマについて、私は考えたことがなかった。

「悲しみのない自由な空へ、つばさはかめたせ」

ということは、悲しみにあふれた生活をしている(いた)のである。

しかし、私は、自動車で聞くサテライトラジオから流れてくるカントリーの詩、そして、それにつぎこむアーティストたちの表現力に触れるにつれて、「つばさを下さい」という曲を思い出したのだった。

Miranda Lambertさんの Over Youという歌も、歌詞、そして喉発音にこめられた感情を聞いてみよう。

Miranda LambertさんのハズバンドのBLAKE SHALTONさんの歌もよい。

歌詞、そして、喉声にこめられた表現力がよい。

「翼をください」について、興味が出てYOUTUBEで調べてみると、徳永英明さんが、歌っている。しかし、彼の解釈は、「明るい歌」だ。伴奏も、NHK喉自慢のような明るい伴奏だ。

赤い鳥さんも、明るい歌として、スマイルを交えて演奏されている。バックの演奏も、レゲエ風で、これではカリブ海の歌になってしまっている。

これを暗い歌と解釈して歌うとどうなるのだろうか。

それが本来の意味だったと思うのだが、いつのまにか、中学生のコンクール曲になるなかで、元気よく歌う曲になっていったのではないだろうか?

日本語の歌は、短調だったら悲しい歌で、長調だったら楽しい歌と自動的になっているように思える。それは、日本語の口発音では、悲しみなどの感情を表現しきれないからだろう。

喉発音でやれば、感情が声に乗せやすい。

<そういえば、九州(博多)出身、沖縄出身の歌手が多い。>

日本のドラマで、役者さんが、感情を出す=声をあらげる、、、という単純なやり方になっているように覚えるのは、口発音による発声の限界だろう。

口発音がだめだといっているのではない。

口発音の背後に歴史的なものがあるのではないか、、、ということだ。

そもそも日本人は日本語も喉をゆるめに喋っていたのじゃないか。特に、西日本においては、それが普通だ。東、西にかかわらず方言は喉がゆるめのように思う。

日本の近代化を推し進めるうえで、日本語を国の言葉として書かないといけなかったのだと思うが、その過程で、口発音化が起こったのではないだろうか???

明治維新自体は、喉がゆるめな方言の人達によって起こったのだと思うのだけど、標準語化がすすむなか、口発音できちんと発声しないと字が読みにくいということになる。

日本で受験勉強を勝ち抜いて、「いい大学」にすすみ、「いい会社」にはいるには、口発音をマスターしていないと無理じゃないだろうか。口発音じゃないと、日本語の字が扱いにくい。

広島では、「キュウリを」を「きゅーりゅー」と発音する。大阪では、「手が痛い」を「て~いたい」と言う。このようなのどがゆるいような発話では、漢字さえ使えない。

「きゅーりゅー」では、漢字さえ使えないのだ。

しかし、いったん、口発音が近代化の中心、コアとなった今、喉発音をしていると、「ふてぶてしい」とか、「態度がでかい」となってしまう。

我々は言語の牢獄に入れられてしまったのではないだろうか?

小学校の国語の朗読のとき、どうしても、朗読ができない級友がいた。あれは、広島弁と、標準語のあまりの違いにとまどっていたのではないかと今思う。全く違う言語に思える。

すくなくともスペイン語とイタリア語の違いよりも、標準語と広島弁の違うは大きい。

そうですよね? = ほうじゃろ?
いってらっしゃいました=ゆうとっちゃったんよ
だから =じゃけん

口発音言語=ヒラガナで表せる
喉発音言語=あらわしにくい、中国語、英語みたい。

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2 thoughts on “カントリーミュージックの魅力

  1. 匿名 says:

    赤い鳥は本家ですからそこは否定しちゃダメたと思いますが(笑)

    英語バージョンみつけました。

    http://www.youtube.com/watch?v=tVVOVHt3kzE

    1. eigonodo says:

      作詞されたのは違うかただそうですよ。

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