日本人が従来の勉強のしかたで英語ができない理由は、それは勉強の仕方が構造主義的だということだが、これはあまり指摘されていない。
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英語教育に関してクリティークをしている人でもこの点は盲点になっている。
日本人は英語を構造的に学びすぎている。
英語は単語づつが、独立して意味を持っている。だから、文法を日本人が必死に勉強すればするほど、英語が喋れなくなる。
どういうことだろうか?
例えばだが、日本人は、中学、高校の6年をかけて、単語と単語の間のつながりを大切にしながら、英文解釈をする。AがBを修飾しているとか、このITはTHAT節を指しているとか。
しかし、英語は、そのような文の構造的理解なしに、理解できる言語なのである。例を見てみよう。
It is interesting that the store is open on Sundays.
日本の英語教育では、まるでITがTHAT以下を指すということを確実に捉えることが、英語の勘をつけることのように思っているだろう。
しかし、実際は、この文のなかの単語だけのレベルで意味が分からないといけない。
たとえばITだけ聞いて、それを日本語に訳さずに、ITと思える、、、これがあって、初めて、英語を機能的に喋ることができる。
ITを聞き逃しても、ISだけ聞いて、それが、IS(~だ)と分かることが英語ができるということだ。
難しいことではない。ISはISだからである。
THATをみて、これがTHAT節を指すのか、いや、あれをさすのか、、、などと考えていると英語は喋れない。THATはTHATだ。
OPENだけとりだしてみて、これがOPENだという意味が分かればよい。
構造を言い出すときりがない。そんなこといっていると、何億とおりもの文法項目が生み出されてしまう。
It is interesting that the store is open on Sundays.という文をB君が言おうとするとき、そしてまだITしか言っていないとき、A君としては、そのITがIT WAS~とくるのか、IT REALLY~とくるのか、IT WORKED~とくるのか、まだ分からないのだが、そのときITをITとしてだけ受け止める。これが大切なのである。
英語の教え方は、完全に間違った英語のルールに関する認識に基づいているので、今後も、勉強すれば勉強するほど、英語ができなくなるという現象が続くであろう。
なぜ日本人が英語も構造がきつい言語だと思っているかというと、日本語がそうだからだろう。例えば、、、
げんきですか?
と聞いたとき「か」だけ取り出しても意味がわからない。「です」+「か」のつながりがわかって、はじめて「か」の意味が分かる。
しかし、英語ではTHIS IS A PENで PENの意味を知らなくてもAの意味は決定しているのである。
英語が喋れるようにあるには、とにかくシンプルな言葉をつかって、ネイティブと喋りだすことで、日本(あるいは韓国?)以外の国では、誰でもそれをしている。
そのうち楽しいので難しいことも自然と覚えてくる。
アメリカの本屋には、聞き取りの本すら存在しないほど、外国語関係の教材が少ない。それは、言語を勉強するには、その国に言って喋るのが大切という当たり前の感覚があるからだ。
大切なこと。聞き取りのとき、右往左往しないこと。文法を忘れること。ただ単に1個、1個のシラブルを無心で聞くこと。意味は、個々の単語の意味が分かれば、自然と分かるので心配はいらない。
読む練習が大切だというが、まず喋れるようになっておれば、読む英語も喋る英語も同じ英語なので、読めるようになってくるものだ。
アキです。
カズ先生、こんにちは。日本は全国的に晴天のようです。
今回のお話しを読んで、少し複雑な気持ちになります。私も昔、人一倍、英文法を勉強した男だったからです。
日本語は多言語と比べると、まるで軟体動物的な言語であり、英語などと違って単語の並び方によって文全体の意味が変わるようなことは、ほとんどありません。英語では単語の並びによって意味が変わるので、いわゆる五文系理論という不思議な(実際は出鱈目な)ものを中学生のときにも学んだのだと思います。
日本語があまりにも柔軟性の高い言語であるため、かえって外国語は文法構造の固い言語だという誤解が、無駄な構造主義的な英文法を押しつける結果になっているのかもしれないですね。
ああしんどい。