字を書くのが面倒になったけど、動画のほうが信頼できないので(消えてしまう可能性あり)、字で書く。
字というのは罪作りな存在じゃ。前は「文がかける、本を読む=頭が良い人」というイメージがあったんじゃけど、かえって本とかを読まずに観察で学べる人も、世の中にはたくさんおるということが分かった。当たり前だったかもしれん。
大学に入りたてのころに、京都東山の中華料理屋でウェイターをしたんじゃけど、そのとき、あるお客さんが、「よく見て、学べよ」とゆうてくれちゃった、、、のにもかかわらず、全くそれを無視してしもうた。全然、見て学ばんかった。
見て学ぶ、聞いて学ぶ、、、というのがものすごく大切じゃと思う。
去年、アメリカ人の子供にギターを教えたんよ。本を与えて、コードを覚えろといったら、分からんと言うんじゃ。コードゆーのは、左手の指でどこを押さえるかとゆう問題なんじゃけど、コード表を見たときに、どっちが左か右かがわからん、ゆーんよ。あと、どの指でどこを押さえてえーんかがわかりにくいんじゃねえ。
で、じゃあ、わしのやっとるとおりに、やりんさい、、、とゆーて、目の前で見せたら(別のギターを持ってきて)、すぐにコードをマスターしよったんじゃ。
つまり、本に書いてある記号的なコード表は分からんが、実演を見たら、すぐに理解できたんよ。
最初のとこで、お前は才能がない、、、と考えてしもうたら、どうなったじゃろうか。
(わしゃー、小学校のころピアノやりょうたんじゃけど、楽譜がよめんかったけん、全然、うもーならんかった。音楽性がなかったわけじゃのおて、記号の世界が理解できんかったんじゃろーて)
世界で一番ギターのうまい、、、人の一人のエドワードバンへーレンは、ギターのネックの後ろの20フレットのところにマジックで線を引いとるんじゃって。YOUTUBEでそれを氏が説明するには、「何年ギターやっていても、おぼえられんのじゃ」と笑顔で説明しとったよ。
才能とはなんじゃろう、、、と思わされるエピソードじゃねえ。
ちなみに、わし自身も、ギターを弾くんじゃけど、ほとんどアドリブじゃし、そもそも楽譜が読めん。アドリブのほうが簡単じゃ、、、という事実もある。そもそもアドリブじゃないギター演奏はギター演奏ではないという気がしてならん。基本的に。これ分かるかのお。
なんで急に広島弁になったんかいのお、、、とおもーとる人がおるかもしれん。わしは、家におじいさんとおばあさんがおったけえ、広島弁でも、古い広島弁が喋れるんじゃ。もしかしたら100年ぐらい前の広島弁かもしれんよ。文化的な継承ということを考えたら、ものすごい貴重なことじゃとおもーとるけえ、それで書くことにしたんよ。
ものすごい表現がよーけあるよ。NOのことを「うんにゃ」とか、「うんねのお」っていうんじゃけど(ウン=YESの否定形じゃろ)、文法的に西洋言語に近いんじゃなーかと思うことがあるよ(ちょっと大げさじゃけど)。
だいたい自分のことを「わし」ともゆーとらんかった。「わえ」ゆーてよーたんじゃ(複数形は「わえらー」)。女は「うち」じゃ(複数形は「うちらー」)。
中学校のとき広島市内に転向した友達がおって、市内では自分のことを「俺」と呼ぶゆーてよーたんじゃけど、なにを*ちょーけとる*んか、、、とおもーたよ(漫画の主人公みたいなじゃねーかー)。で、広島市のことを市内、市内、、ゆーて呼ぶんじゃけど、これもなんか変じゃとおもーたよ、、、自分のすんどるとこが世界の中心みたいな言い方じゃろ(メキシコの人がメキシコ市のことをメキシコと呼ぶのに、ちょっとだけにとる、、、メキシコの地方に行って、わしはメキシコから来た、、、ゆーてゆんじゃけど)。
今でも広島の田舎の人間に「俺」ゆーていえー、ゆーのは、踏み絵を踏むみたいな違和感があると思うよ。「僕」はましじゃ。学校で使うけーねえ。
関西にはなごーおったのに、関西弁マスターせんかった。ばかじゃったのお、、、と思う。でも聞き取りは100%できるけえ、今からでもマスターしよーとおもーとる。(東京の人は、広島も関西じゃ、おもーとるかもしれんけど、広島じゃあ、関西ゆーたら近畿地方のことなんよ。東北が関東じゃないのと同じなんじゃ。)
大学のときに、兵庫出身じゃのに、広島弁をマスターした奴がおった。広島弁を喋るわしの級友がたまたま、そいつのつれじゃったんじゃけど、それから広島弁を学んだんじゃ。観察で、広島弁マスターしよったんよお。ほんまに尊敬するし、今思い出しても笑える。ほんまにユニークな奴じゃった。今、どうしょおるかのお。おったら、メールくれーや。