ジーナが、私をさして、日本一緊張感がない人だと言ったことがある。
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私には身に覚えがある。
あ、その前に、昨日、仕事のEメールを見ていて気づいたのだけど、アメリカ人の名前がずら~と私のメールBOXには並ぶが、ほとんどのラストネームがY,D,u_あるいはNで終わっている。N以外は、ゲップエリアだ。やっぱり、ネイティブの発音の低位置は、ゲップエリアなので、名前の最後も、そこに落ちている音が多いのか。
それにしてもNは不思議だ。日本語でも不思議な存在だ。しりとりでそれで終わると負ける。
いいやすい発音なのかもしれない。
英語にはNで終わる単語が多い。中国語にも多い。
なんと広島弁や鹿児島弁(アキさん)にも多いようだ。
せん(=しない)、こん(=こない)、ほん*じゃ~(=それなら)
Nはシラブルの数を減らすのに大活躍だ。
沖縄琉球学園さんのラジオ局は読谷だけど、読み方は「よみたん」。4つのシラブルかと思いきや、Nのおかげで3つになり、いいやすい。
日本語で、君、さん、などもNで終わる。
さて、私のことだが、大学を卒業して、大阪の高校に勤めていたときに、違和感があった。それは、「私は人にあやまることをしないのかな」という感覚だ。
しかし、あれは、今思うと、当時の同僚のかたがたが都会出身なので、すぐに、「あ、すいません」と謝るかんじがすることに反応していたのだけど、もっと根本的に、体の感じが硬かったのだ。
私の違和感は、今考えると、同僚が体を硬くして、丁寧にしようとしていることに対し、私自身が、それを返していないところにあったのだと思う。
今、剣道を通じて日本人の大人に会う。あるいは、隣人と、たま~にビールを飲むことがある。
そのとき、彼らの体が硬いことが分かる。
今日は金曜日だが、ランチはいつも、ベトナムラーメンPHOの店に行く。すると、日本人の団体がいつもいるのだが、日本人だけ、オーラを発しているようだ。
それは体の硬さからくる印象が光を放っているような感じがする。
その店には、たくさんのベトナム人や中国人がいるのだが、彼らは、なんとなくアメリカ人と同じ感じで、「ぼ~~」とした印象がある。日本人は「しゃきっ」とした感じがする。
しかし、広島に住んでいたときのことを考えると、田舎の人たちは、体が硬い印象がない。
敬語もほとんどなく、「です」という標準語を借りてくる。
広島弁独自の敬語、丁寧語がないように思われる。
ゆ~たんです、、、という具合に、ゆ~たんの部分、広島弁の部分に、です、という標準語をつけて丁寧語にする。
「ちゃった」をつけると、かろうじて、敬語になる。
先生が、ゆ~ちゃったんじゃって。
先生がしちゃった=先生がされた。
敬語や、丁寧語、体を硬くして、丁寧さを出すのは、産業や商業の発達した都会での現象じゃないだろうか?
ところで、田舎でも、昔、いわゆる「不良グループ」の中学生にからまれたときは、なんとなく、体を硬くすることを要求されていたような記憶がある。
「おまえ、生意気だ」とか、いちゃもんをつかられたときね。