大学では本当に意義がわからんことばかりだったのだが、カリフォルニアの大学で交換留学をしたときに、Steven Platzer大先生の日本史の授業をとったことで、初めて*分かる*という経験をした。
第1次湾岸戦争が起こっていたから1991年のことだ。
この先生は、日本の教育思想史の本の訳者でもある。
授業がものすごかった。まずは、自由思想の理論の本を読み、またファシズムの本を読む。それで理論的な枠組みをつかんでおいてから、Karel van WolferenさんのThe Enigma of Japanese Powerという本を批判的に読んだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Karel_van_Wolferen
理論を把握しておいて、そのうえで、日本について書かれた本を手がかりに、その本を批判したり、あるいは日本の歴史や社会を分析したり、、、と、今まで体験をしたことのないような内容の授業を受けた。
で、ほとんどがディスカッションなのだ。
先生は、どっかりと足を机の上にのっけて授業をしていた。時々、スラングも出るのだが、「私の発したフランス語をEXCUSEしてくれ」とよく言っていた。
で、クラスの課題として、20ページか何かの論文を書くんだけど、私は、初めて、自分で資料を集めて、それを批判的に検討するという、当時はものすごく高度に思われる作業をやった。
初めて「分かった」と思った。
勉強するとか、研究するとはこういうことなのか、、、と。
で、先生が、なんと、その論文を授業で発表せよ、、、というようなものすごい機会をくれて、なんとか先生の助けを借りながら発表した。そのとき配った自分のペーパーの一部をクラスに配ったんだが、クラスメートの一人が、これはどこの論文からコピーしたんだ、、と聞いてきて、これは俺が書いたのだといったらえらくほめてくれたのがうれしかった。
そのあと、先生との消息は切れた。日本に戻り、卒業したのだが、アメリカの大学院に行こうと考え、先生に推薦状を書いてもらいたくて、消息を追ったが、どこに消えたのかわからない。当時はインターネットがなかった。1991年あたりの話だ。
シカゴ大学の大学院では社会学を専攻したのだが、1998年あたりだっただろうか、修士論文を追え、博士論文をやっていた私はあるとき図書館に行ったのだが、どこかで見たような人がエレベータの前にいた。
どっかで見たような、、、というような目でその人は私を見ていたのだが、エレベータの扉が閉まったので、あまり気にしなかった。
でも、どっかで見たような気がする、、、なあと私も思った。
続く
ま、結局のところ、シカゴにて大先生と再会するのであるが、博士論文の指導の先生の一人がドリーブン先生だったのだが、私がPLATZER氏に教わったというと、椅子からこけそうになるぐらいの勢いで、「彼は本当に教えるのがうまい」と言った。PLATZER氏は昔、ドリーブン先生のTAをしていたことがあるそうだ。
すごい人はいるんだなあと思う。
PLATZER氏って体が大きくてイタリア系のひげがある方ですか?
多分その方知っていると思います。
まずの印象は体が大きいということです。
ひげあったかなあ、、、?