昔アメリカで出会った日本人の知り合いが、SEE YOUと挨拶するときに、「すい~ゆ~」と発音していて、え?なぜSEE YOUと言わないのかなと頭をかすめたことがあります。でも当時、ネットがなかったので、そもそも、日本人が英語が苦手だということを知らなかった、、、。でも今思うと、なぜ自分は英語ができたろうのだろうと考えることができる。なぜ、SEE YOUを「すい~ゆ~」と発音しているの?と深く考えることがなかったのだが、結局、自分以外の日本人は当時英語を音として聞いていなかったのだろう。
同志社のときに、2年アメリカにいて帰ってきたESSの先輩がいて、先輩、聞き取り完全にできますか?と聞くと、「日本語でも分からんことがあるのに、できるわけない」とおっしゃったが、先輩も結局、英語が聞けていなかったのだなと思う。今思えば。
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英語の音の深い部分を聴き、シラブルを大切にしながら英語を聞いているので、100%聞き取れるし、アメリカに住んで長いのもあり意味も100%分かるのだが、一つ悩みがある。
それは、日本人は英語をそもそも音として聞けていないが、他の人類は、ノンネイティブでも音としては英語が聞けているのだ、、、という点を言っても、英語が聞けない他の日本人に理解してもらえないことだ。
野球のイチロー氏が10年以上アメリカに住んでいても通訳を使っているのは、英語が音として聞けていないからだと思うのだが、そのことと対照的に、アメリカの体操競技のコーチをしている中国人達が普通にアメリカ人とコミュニケートしている。
アメリカの会社で働いていて、日本と全く関わりのない仕事をしている。中国と韓国にもまったく関係のない業務の会社だ、、、が、中国人と韓国人はたくさんいる。当たり前のように英語を聞いて、会議中に、英語に苦労して辞書を引いているひとは一人もいない。
それは、中学校で英語を勉強しはじめたとき、いやそれ以前から、自然現象としての英語の音は聞こえている。 それはシラブル構造がだいたい英語も中国語も韓国語も似ているからだ。
私自身、大学時代から、英語が正直なところぺらぺらだった。なぜか大学の1年でESSに入ったときから、全然、苦労していない。いや、高校で初めて、アメリカ人と話したときでも、ぺらぺらだった。アメリカではマイケルジャクソンはMAIK-KEL-JACK-SONだけど、日本語ではMA-I-KE-RU-JA-KU-SONですと言い放ったことを今でも覚えている。なんでそんなことが17歳のときに分かったのか???それは、きっと小林克也のベストヒットUSAを見ていたからだろう。
もちろんジーナに、その子音ー母音ー子音が全ての英語の発話に現れることを聞くまで、シラブルなんて考えたことがなかった。
よく考えると、シカゴで大学院にいっていたころ、昔はネットがなかったので、他の日本人が英語で苦労していることをあまり知らなかった。
なぜ自分が当時から英語ができたのか、、、今考えると、それは自分が広島出身で、広島弁のシラブルが中国語や英語に似ていたからだと分かる。
じゃ*けん*のお~~
というまるで中国語のようなシラブルのリズム、、、そして、そのリズムは英語と同じ。
じゃ、広島だったら、誰でも英語ができるのかということになるが、広島弁のリズムと英語のリズムが同じで、あんまり「学問的」にごちゃごちゃいわなければ、自然にできるようになるだろう。
あと、中学のときに英語の教科書よりも、ドリル教材のほうがぴんときた。教科書はごみのようにごちゃごちゃ表現がでてきて、そこから文法項目を引き出すかたちだ。ドリルは、その項目の大切な文法点がまずあって、例文がのっていた。
私はその文法のポイントを理解し例文を覚えた。
よく考えると、私がとったやりかたは、日本人以外の世界の人々がやっているやりかただ。アメリカ人で日本語を勉強している人たちは、そういうやりかただ。
日本はまずテキストを読み、訳し、そこから先生が説明を加える。しかし、これは、先生が活躍するフォーマットで、生徒は先生の話を聞かないと、理解できない仕組みになっている。
ところが、私がやったやりかたは、先生を必要としない。文法はすっきりしているものだ。そして例文を理解し、覚える。
先生がいらない。
まるでギターを独学で覚えるときのようだ。
ただし、このやりかただとテストで良い点がとれない。中学のときの英語の成績は10段階で7だったと思う。これは自分でもやや意外だった。高校に入っても、英会話のNHKラジオを聴いていたし、洋楽も聴いていたので、英語は好きだという感覚があるのだが、成績はトップにならない。あるときに、成績トップの友人がこう言った。テスト前に教科書を何回も暗記するまで音読せよ、、と。それをしてみると、実際、テキストを暗記することになり、定期テストで満点近い点がとれるようになった。
な~るほど、成績トップの人たちは丸暗記しているのか~~と気づいた。実際丸暗記するとテストの点がとれる。それはそうだろう。先生は教科書をベースにテストを作っているのだから。しかし、学校の成績が良くても、実際に英語が喋れるかどうかに関係しにくいのは、丸暗記した知識は、実際に英会話をして使っていないと力に結びつかないではないか?と思う。それは高校のときだったのだけど、そのときに、「な~るほど中学で英語の成績のよかった友人たちは丸暗記してたのかも」と思ったのでした。
しかし高3のときになると英語の定期テストの勉強はやめた。あえて普通に英語の勉強をしておけば、定期テストの問題もとけるはずだと思ったからだ。一般的な受験勉強をしながらも、短波ラジオでVOICE OF AMERICAの英語の放送を聞いていた(FENは受信不可能だった)。受験にリスニングのテストはなかったが、同じ英語だ。受験があるからいちおう受験対策はしているけど、もちろん、受験が終わってからも英語を使いたかったので当然だ。
さらに、私は中学のときからラジオの基礎英語を聞いていたのだが、これは効果があったのか良くわからないが、ぼけっとして聞いていたので、シラブルのリズムを聞いていたのかもしれない。
高校のときに、友人が外人さんから英語を習っていたようで、
HOW YOU DOING?
って挨拶があるんだよと教えてくれた。
なんとなく、そのときに、シラブルのリズムを感じたのかもしれない。
そしてアメリカに最初に来たときに、日本人の友人が自動車でラジオをつけて、これ聞こえるか~と、LA付近で言ったことがあるが、そのとき、ラジオの音声があまりにも悪く、かえって、そのおかげで、シラブルのリズムを無意識のうちに聞いたのかもしれない。
そして同志社では、留学生とよく交流があったが、上のような経験のおかげで、私はきっと英語ができたのだろう。
そんな感じで、それほど苦労することなく、大学院でも英語が理解できたし、書けた。
英語喉に出会ってさらにパワーアップしたわけだ。
最近、ネットで英語学習に関して色々とBLOGをしている人がいて、よく考えると気になるのは、その人たちが日常的にネイティブと喋っていないように思えることだ。
これって、重大だと思う。ネイティブと喋っていない=英語を勉強していない、、、ということだと思う。
次はギターに関して語ってみたい。またしても、なぜか、中学のときにギターを買ってもらったころから、ばりばりにギターができた。ずっと後になって、ある人がエレキを弾いているのをきいて、「え、なんでそんなに下手糞なのか?」と頭をかすめたことがある。そのとき分かったのだが、下手糞なギタリストは「セーハ」をしながら弾いていないということだ。
なんかむちゃくちゃ傲慢に聞こえるが、人には、意外とすっとできることがある。逆に、がんばってもできないこともある。たまたま、すっとできた分野に関しては、積極的にそのコツを紹介したほうがよいのではないかと感じるこのごろだ。そして、苦手な分野に関しては、謙虚に、できる人に質問する、、、と。
いや、傲慢の逆だろう。できる人はできない人のことを全然かんがえちゃいない。それを考えようということだから、傲慢の逆だと思う。