会社のメールで、A という単語が使ってあって、あ~、なるほど~、Aってのはこういう意味か~としみじみ思った。
急に、この単純なるAという単語が生き生きと意味をもって伝わってきたのだ。
英語喉をしだして7年ぐらいになると思う。Aという単純な単語だが、しっくりくるようになった。
昨晩、オバマ氏がコネチカットの乱射事件のことで現地入りし、スピーチをした。感動的なるスピーチだった。もちろん、彼のスピーチの内容がすばらしいのだが、英語という言語には、感情を含めることができる。そして、それは広島弁と全く同じ持ち味がある。たまたま、剣道の忘年会で広島出身の道場主の先生と広島弁でかたりあった、、、いや、ほえあった?
英語と同じ感覚だ。
周りからみたら、なんとカジュアルな会話かと思うかもしれないし、その声の豪快な響から、けんかしているのかと思われたかもしれない。
しかし、広島弁においては、喉発音からでる音の響き、音色において、相手に尊敬を表すことができる。
さて、話は錯綜するが、オバマのスピーチが終わったあと、私は、I JUST HEARD HIS SPEECHか、I LISTENED TO HIS SPEECHかなとふと思って、それは確実にHEARDだなと思った。
これは文法書に書いてあったわけではない。じゃなくて、OBAMAがでてきて、私がそれをたまたま聞いた感じがあるので、I HEARDだと感じた。私がわざわざ、なんらかのかたちでチケットを購入し、彼の会合に参加したら、どちらかというとI LISTENED TO HIS SPEECHというのがしっくりきたのかもしれない。
もちろん、どっちでもいい場合があるのだが、昨晩の場面ではHEARDだろうな、、、と。
単語の意味が、なんとなく前よりも、確実に感じることができているような気がした。
つまり英語喉を始めて、英語を英語として、意味をかみしめながら喋っていると単語の意味がよく感覚的に理解できるような気がするのである。