喉実践者の質問は、本当にするどい質問だ。著者の考えてもみなかったような質問にどきりとさせられることがある。
喉は、自分自身の身体(そして文化)を理解する旅へのいざなってくれる、、、と思う。口発音から喉発音への移行に成功し、3ビートをやれば、次から次へと今まで分からなかったことが分かってくる。実践につきあっていただいたかたがたとは、色々な話をした。話が止まらない、、、といった経験もあった。
歯医者に行ったのだが、口を開けて検診を受けるあいだ、なぜ自分は喉を閉じようとするのだろうと、自分に問いかけた。西洋人は喉をあけたままで治療を受ける。ところが日本語話者である自分は、どうしても喉を開けることができない。
絶対的にミステリーだ。日本語話者は喉が繊細というかセンシティブである、、、などという説明を最初は考えていたが、納得がいかない。だって、食べ物を食べるときは平気に、喉を多くの流動物が、ごくんごくんと、通過する。
なぜ、歯医者では、喉を守るがごとく、喉を絞めるのか?
舌のおき場所に困るほどだ。喉をしめると、舌が前面に出てくるような気がして、どこにおいたらよいか、一瞬迷った。
鼻呼吸だ、、、。私は歯医者での呼吸は鼻呼吸である。そしてその最中は喉が完全に閉じている。だから、喉を絞めてしまうのだ。西洋人はどうなのだろう。
勝手に決めてしまわず、西洋人との対話の中で真実を発見する。そのあたりは、私が全てこうだといってしまわず、皆さんにお任せしたい(英会話のネタにしてください)。
あ、ここで言いたかったことは、英語喉をやることは、自分自身を理解するということ、、ということです。自分自身の身体(口、喉付近、姿勢などを含める)を理解するのです。
(その思考の過程で、欧米人がこの本でこういっているとかいうことは、とりあえず括弧にいれておくのです。 括弧にいれるというのは、言われていることを仮説として扱うということです。 特にこれまでアメリカ人の学者が書いたものが絶対的であるという感覚があったのではないでしょうか。今後は日本から独自の情報を発信していきましょう。)