私がギターを教えたい理由は、実は哲学的な理由だ。

哲学というと、難しいという印象があり、実際、哲学書というと、読んでも無駄という文体様式でなっているから、読むのに苦労する、、、というか読んでも分からない。

しかし、哲学とは根源的、根本的なことを問うことだ。自明とされていることを問うことである。ということは、哲学書など読まなくても、自分自身を見つめることで哲学は実践できる。

私がギターを教えたい理由は、非常に個人的にも思えるが、自分でなぜギターが弾けるのか?という疑問に答えたいからだ。これは喉以前から思っていたこともある。

人は、ギターと関係のないところで、指を早く動かしてみて?と言われるとこれは簡単にできる。しかし、手をひっくり返した感じでギターのネックに手をあてさせて指を早く動かせといわれるとできない。

このことに私は不思議に思った。私自身は、ギターを手にとって、ロックの曲をコピーしているうちに、手がものすごく早く、それも自由に動くようになった。

中学のころ、広島市のキサダ楽器のギター教室に行ったが、先生が、中学生なのにそこまで弾けるとは恐ろしいと言った。とはいえ、その時のプレーは、そんなに時間をかけて必死こいてマスターしたものではなかった。

さらに自分の意識としては全く難しいことをしているという意識がない。それどころか、頭では何も考えていない。指が勝手に動くのだ。

そしてその動きかたは、ある簡単な原理に基づいて動いているだけなのだ。

その原理に関しては長い間気づいてはいたが、最近になってその曖昧なものを自明化することが大切だと思うにいたった。

その一つの理由だが、これも最近になって分かったのだが、やはりギターの世界もとにかくがんばれば絶対できますよ、という言説が中心だ。

プロのギタリストをコピーしまくり、練習をかさねれば絶対できますよ、、、

という言説が中心だ。実際、そういう発言をする人は、恐ろしいほどギターがうまいので説得力100%だ。

非常に手ごわい!英語発音の世界と全然違う。

しかし、できない人は、実は、実際、もうやっているのではないか?プロのギタリストのコピーをやっているのではないか?やってもできないから、助けを求めているのである。

私が私が原理的に実行していることを自分で観察し、一体、自分が何をしているのかを根本的なレベルで問いつけることにした。

すると、気づいたのは、

1)自分がつねに4本の指を合理的に動かしていること(他の人はほとんどが3本だけを使っている、、、ちなみに3本しか主に使わないプロはたくさんいるので、3本じゃだめというわけではない。)

2)自分の人差し指の使い方。人差し指の先端だけじゃなくて、人差し指の中間から付け根までをつかって押させている。

この二つをすると、そうしない実践に比べて努力度が少なくても弾ける、、、というのが現在のところの仮説である。

そこで思ったのだが、バイオリンをやっている人に聞いてみたい。これってもしかしてバイオリンの世界では当たり前?

続く

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