フェースブックでギターで16ビートの練習をしているという人がいて、それを読んだときに、意味がよく分からなかった。
ドラムで8ビートと16ビートの練習をしているというのなら分かる。
ギターで?
で、あとで分かったのだが、人によっては8ビートと16ビートを分けて考える人がいるのか~という驚きである。
私にとっては8ビートを速くしたら16ビート。
二つを分けて考える必要も、練習する必要もなかった。
ドラムだと、スネアドラムとバスドラムのの入れ方が違ってくるので、8ビートと16ビートを違うものとして練習する、、、のはわかる。
それは、私も中学のときに、音楽室で友人たちと練習した。
認識の違いは、おそらく上達の違いでもあると思う。ギターができる人は、おそらく8ビートと16ビートを言葉で言ってもらわなくても、聞いたら分かるのだ。
英語の学習でも、いつまでもアクセントの位置とかにこだわってしまう人は、英語が不得意な人だろうと思う。
自分で強く読んだりしながら、その強弱が、言語の根本的な弁別性に関連しているかどうかに、気づかないのであるから、よっぽど、語学が不得意なのだと思う。
以前、電車何とかさんという人が、英語発音を教えるとかで、本当に、強弱をつけて英語を読んでいた。
彼は英語が絶対に聞けていないと思う。
語学が不得意なことは、恥じるべきことではない。運動の不得意な人、数学の不得意な人、、などというように、誰でも不得意の分野がある。
例えば私は電話番号は3つしか覚えていない。
そういう不得意なことというのはある。
たまたま英語だけは、受験というのがあるので、国民全員がやらなければいけないために、不得意なことがよくないかのような印象を与えるかもしれない。
またペーパーテストが中心なので、本来は、英語が不得意な人が得意だと勘違いしている確率も大きいだろう。
国民全員がサッカーを義務付けられると、サッカーが不得意なことがあたかも、悪いかのように思えるのと同じ。
不得意な人は、まずは、聞こえるようになることに専念するのがよいと思う。