哲学とは何かという問いに対しては、「根本」を問うことだと答えたい。自明なものとしている、されている、見えないものの存在を明らかにするのが、哲学的な探索であろう。
ところが、普通、哲学というと、昔の人で難しい言葉使いで書いてある本を読むこととか(1)、自分の分野にこじつけて、そういう難しい本を読んでいますよとアピールするためであったり(2)するわけだが、それは方向が違っていると思う。(2)の場合、その分野の具体的な問題を解くために読んでいるのか、単に、そういう本を読んでますよ!ということをアピールするためなのか、見分けがつかない。
そういう意味で英語喉は非常に実践的な哲学である。西洋文明、文化において当たり前とされているものを、明らかにしたからである。共著者が発見したので、私が発見したとはいいがたいが、一度、喉パラダイムがでそろうと、他にも色々なことがわかってくるが、その大きなものは、西洋人や、その他の世界の人々が変わっているというより、日本人と韓国人が異なっているということである(1)。
そしてその異なり方とは、おかしいとか、変ということでなくて、あえて難しい方向に発展しているということだ。例えば、喉発音は犬でも馬でもやっているという点において、あまりに当たり前のことである。しかし口発音には、高度なトレーニングが必要である。だから、幼児は、日本人でもできない。その芸術的発展とでもいえる口発音や、その他の文化・生理学的の違いについて、発展して考えていきたいものだ。
うんこをしながら考えろ、、、といったのはソクラテスではなく、ドリフターズのリーダー、故 いかりや ちょうすけ氏である。氏は、アイデアを書き溜めるために、トイレにアイデア帳をを置いておいたらしい。
私はうんこをしながら、なぜ、うんこをするときに、顔に力が入るのか?を不思議に思っている。よく考えてみると、力をいれなくても、でるものはでるのである。さらに根源的に考えてみると、その瞬間に息をとめているのである。
これこそが、日本人、そして朝鮮語話者の身体性ではなかろうか。日本人には痔が多いというかんじがする。アメリカで痔の薬の広告をみたことがない。力みすぎかもしれない。
なぜ日本人のゲーム番組(昔で言うならたけし城、今なら、なんだったけ?色々な障害物を克服する、、、さすけという番組だ)が、世界で受けるかというと、我々が痛がるときの表情が、非常に独特らしい。
先日、日本人の真似の仕方というのがYOUTUBEであったのだが、おおげさに顔に出して痛がるのが日本人であると言っていた。
http://www.youtube.com/watch?v=z19r9THJIlc&feature=related
そういえば、そうだ。私は2日に一回は大きな声で
いてててえ
と言って顔をしかめることがある。そんなに痛くなくてもだ。
うんこにしろ、痛がるときでも、我々は息を止めて、顔が、体が、緊張しているのではないだろうか。
一体、これはどこから来るのであろうか?
そして、よく考えると、仕事などで緊張するときに、顔、いや首より上が緊張するのである。すると口発音ぎみになってしまうのだ。
一体、これはどこから来るのであろうか????
身体論というのがあるが、自分達が自明とする体の動かし方、反応などが、実は社会化の結果である、、、ということをとことん追求するのが身体論である。決して、身体論について外国人が外国語で書いたものを、難しげに引用して、煙に巻くのが身体論ではない。また、法政大学の斉藤先生(漢字OK?)が言っているように、声に出して国語の本を読むのが身体論の応用ではない。
いや逆である。声に出して読む、、、というのを推進するのが、身体論ではない。声に出して読むとよいよ、と胡散臭いことを誰かが言ったときに、なぜそれを信じたりするのか?その歴史性を問うことが身体論である。英語をとにかく音読せよ、、、などというアプローチなども同じだ。
身体論とは、まずは自分自身の身体、喉、顔、などなどを根本的なレベルで考え、その動きを制御する文化コードを突き止めることである。
一つ、同じことを外国人がやっているのか?ということを比較してみるのもよい。海外旅行をするのもよい。
うんこを論じたので、もう一つ書いておく。こないだ日本に帰ったら、どこにいってもワッシュレットがあった。お尻を洗ってくれるあれであるが、アメリカには、そんなにない。というか、アメリカ食を中心に生活していると、犬がドッグフードを食ったときに出す、ころころとした切れのよいウンコしかでない。だから洗う必要がない。
アジア食を食べたりすると違う(特に米)。だから、アメリカに来て、ワッシュレットがないんですね?と言うのはナンセンスなのである。そういうのはいらないのである。
こういうことを考えるのが哲学的思考である。
> アメリカ食を中心に生活していると、犬がドッグフードを
> 食ったときに出す、ころころとした切れのよいウンコしかでない。
> だから洗う必要がない。
>
> アジア食を食べたりすると違う(特に米)。
> だから、アメリカに来て、ワッシュレットがないんですね?
> と言うのはナンセンスなのである。そういうのはいらないのである。
欧米人には必要はないでしょうが、それでも日本のトイレの快適さは世界一、
持って帰りたいと感激する人も多いようです。
・ウォッシュレット
・暖かい便座
・流す時の水量の「大小」調整
ディカプリオはTOTOの最高級ウォッシュレットを自宅に設置しました。