喉革命以前に、HOT,HUT,HAT(母音のところ)を説明しようとやっきになっていた。HUTは従来のメソッドに似ていて、口の前のほうで、口を小さめにして発音する、、、と決めてしまっていた。その逆、対抗、として、HOTは口の奥のほうで、アかオか、微妙な感じの音だと決めてしまっていた。
言説の監獄(1) HUTの対をなすのがHOTだと思いこんでいた。二項対立として考えてしまうと、それから離れることはできない良い例だ。例えば、紅白歌合戦という概念があるが、日本語においては、なぜか白と赤が逆だという気がする。ところが、別の言語文化にいくと、白と赤は逆ではない。
監獄(2)HUTのアが日本語のアに近いと思っていた。HOTのアは、日本語にはないと思っていた。
HUTは口の前のほう、HOTは口の奥のほう、いわゆる「喉」と思っていた。HATのAに関しては、なぜか、方法がどうがんばっても思いつかなかった。前とか後ろでは説明しきれなかった。でも、なんとなく、日本人なら「ぎゃー」というときのアと説明したら、できる、、、と思い込んでいた。
- HUTは口の前
- HOTは口の後ろ
- HATはちょっとわかりませんが、とにかく真似てください。
というシステムを喉革命前に構築していたわけだが、これは、SUDOKUという日本発のパズル(アメリカでも大人気)の作り出す状態に非常に良く似ている。
SUDOKUを解こうとしてみると分かるのだが、ほとんどあっている、もう少しで解ける、、、という段階で(90%はできてるな、、、と思う瞬間)、答えを見てみると、10%ぐらいしか正しくない、、、という状態を経験する。
HOT HUT HATを口の中の響かせる位置で説明しようとしていた喉革命以前は、それなりに、説明できているような気がしていたのだが、どうしても説明できない音が存在した(HAT)。90%は解けているとおもったパズルだったが、実は全然解けていなかったのだ。
ものすごく面白いのだが、喉以前は、HOTが一番喉の奥だと思っていた(喉といっても口の奥)。HUTとHATは口の中だけを考えていたのだから。ところが、喉革命以後は、実は、HOTが一番浅かったのだ。HUTとHATは、首の奥深くで発音するのだから。
結局のところHUTとHATは、喉を使わない・響かせないと絶対に発音できない音なのである。
従来のパラダイムではHOTが口の一番奥と考えられている。ところが、HOTこそが、喉パラダイムにおいては、一番浅いのである。
これまでいろんな場所で見た喉に対する批判的コメンタリーの中で、こういうのがあった。HOTのときの母音は確かに喉の奥(口の奥)である。が、その一部の音の特徴を他の全部にあてはめるという過ちを喉著者は犯している、、、と。
ところが、実は、HOTの母音こそ、喉の浅い場所で発音されている母音だったのである。
口から考えると、確かに一番奥だ。ところが喉から考えると一番浅いところなのである。
そして、なんとHOTのOは日本語のアと同じなのだったのだ(喉を使うから日本人の耳には違って聞こえるだけ)。 これこそが前世紀の最大の認識論的スキャンダルだったと思う。
まさにコペルニクス的転換だ。
SUDOKUの例を出した。SUDOKUは、90%あっているように見えても、実は10%もあっていない状態を見せてくれる。つまり、初心者がめちゃくちゃにやったSUDOKUの答えも、中級者がやった90%あっているように見える答えも、どちらも100%間違っているのである。
私が喉革命以前に構築していたシステム(HUTは口の前、HOTは後ろ、、、)は自分では75%はあっていると思っていたが、実は完全に違っていたのである。
参考
口発音によるHUT,HOT,HAT 対 喉発音によるHUT,HOT,HAT http://www.nippondream.com/blog/Nov26_2007.wav