スペイン語の本を読んでいたら、例えばLUNESという単語では、なんらかのルールで最初のところにアクセントがあると書いてあった。自分は、たぶん、広島弁が母国語だからかじゃないかと思うのだけど、理屈抜きで、おもわず、言われなくてもそういう感じで言ってしまう。ネを音程を高くいうのが面倒くさいから。
標準語では、単語ごと、そしてそれを構成する平仮名ごとに、音程がきっちり規定されているから、どこまで言っても、単語自体が音程をコントロールしている感じがする。
一方で、広島弁、そして多くの(たぶん西日本の)方言では、肺に息がすくなくなると、音程を上げるが面倒くさくなる。
だからLUNESの後半を上に上げるのが面倒くさい。
標準語を話す人が、なぜアクセントの位置を覚えるのか、、、。
それは、たぶん、本当に覚えないと、正しい感じにならないのだろう。
田舎の方言話者の場合、アクセントを覚えなくても、なんとなく正しくなる。だいたい、後半のほうが、音程が低い感じになる、、、ほっておいても。そのほうが楽だから。
ネットで読んだのだが、児童英語を教えておられる大阪の先生が、子供たちにTHIS ISという言い方を教えるのに、ISを弱くと教えておられた。THISは強くと教えられていた。
でもそういう教え方だと、何億もある英語の表現の一つ一つの強弱パターンを全部暗記するのだろうか??????
大阪は西日本だが、声が硬い人がだんだん増えてくるあたりの場所だ。都会だからかもしれない。
しかし、田舎の方言話者の場合、そういう風に意識しなくても、自然とISが低いかんじになる。ISで強く、音程を上げるのが面倒くさいからだ。
でも、口発音傾向の強い人にとっては、勝手にそうなってくれないのだから、意識的に「アクセントの位置」だとか、「強弱アクセント」だとか理屈をつけて暗記するしかない。
しかし、そのアクセントのパターンは単語の数だけ存在するのだから、ものすごい、苦しい語学学習となる。
自分はスペイン語を全然話せずにメキシコに行った。20歳のとき。で、それなりに話せるようになった。
それは、アクセントの位置とか覚えなくても、喉がゆるいので、なんとなく楽に発音できるように言っていれば、正しい風になるのだと思う。
英語喉でリラックスして発想を転換すると語学の学習が楽になる。
自分は、スペイン語を必死こいて勉強しているわけではないのに、なんとなく話せてしまう。それはたぶん、広島の田舎もんだからだと思う。父方、母方両方の祖父母は全員、農業をやっていたし、自分自身、田んぼで田植えの経験も普通にある。大学で京都に出るまで米を買って食べたことはない(自分の家の米を食って育った)。
実はもう一つ心当たりがあることがある。自分は両親が共働きなので、帰宅すると祖父母が面倒を多くみてくれた。祖父母は大正生まれだったから、自分は大正、明治、たぶん江戸時代ぐらいの広島弁を聞いて育った。そのあたりも関係しているのではないかと思う。
スペイン語は必死に勉強していないのに、なんとなく喋れる。