苅谷教授がちくま書房さんのサイトにて、エッセイを連載されている。「この国の教育に今起きていること」シリーズである。その中に、英語喉を登場させてもらっている(最後のほう)ので紹介したい。

http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/kariya/10_1.html

私の勝手なまとめは(正しいと思うが)、何かを教えるときは、そのメソッドが確立されていないといけないということだ。とにかくやってみる、、、というやりかただと、どうしても無理が出る。とにかく練習せよ、予習せよ、、、というやり方はまずい。

どうやったらできるのか、、、に関するメソッドがいる。

メソッドとは、ある技術(例 発音 聞き取り)ができるようになるための方法だ。

ちょっとごちゃごちゃ書いてみる。

皆で大きな声を出して挑戦する、、、というのはメソッドではなくて、練習法だろう。家で、宿題をがんばる、、、というのもメソッドではなく、練習法だろう。資格を目指してがんばろう、、、は動機付けの方法だろう。予習しようね、、、、は練習方法の動機付けだと思う。スポーツみたいに繰り返して練習しよう、、、と呼びかけるのもメソッドでなくて、練習法の動機付けだろうか。自分でやることが大切なんだよ、、、と呼びかけるのも、練習法の動機付け。初心に戻ってみな、、、と呼びかけるのは練習法の動機付け?まずは自分で調べなさい、、、勉強とは自分でするものです、、、は動機付けだろうか。夏休みの宿題は練習法?ただ、実際に夏休みの宿題をこつこつとやったことがないので、自分にとっては練習だったのかどうかわからない。小学校の野球部の練習で水をのむな、ばてる、、、と言われたが、あれはなんだったのかなあ。メソッド?

小学校の体育の授業ではやく走るには手を速く振れといわれて、本気で速くふったけど、全然、足がはやく動かなかった。あれはメソッドなはずなんだが。薄着をすると風邪をひかない、、、と思って薄着をしたら風邪を引いた。これも風邪をひかないメソッドだったはずなんだが、、、。

練習法じゃなくて、やっぱりメソッドがいると思う。メソッドなしには、知識、スキルを効果的に習得できないからだ。

社会階層論の観点からいうと、メソッドがないのに、とにかくがんばらすと、社会不平等が増加する可能性が大である。裕福な層は、塾などを利用して、なんとかマスターさせるだろう。ところが、お金がなければ、どうしたらよいだろう。非常に困る。

今、日本社会が必要としているのは、グローバルな社会で大切なスキル(すぐに使えるもの)を学習者が自由に、効果的に学べるようなインフラだ。

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