言語のシラブルは歌うとすると音楽の音符一個に当たるわけですが、その音符内のうねり、響きの変化、音程の変化を聞くということが大切だと思います。
それが存在しないと仮定しているのが、日本の英語教育において教えられている「アクセントの位置」の指導です。
例えば、意味不明ですが、COFFEEのCOを強く(元気に)読むと通じやすくなるという俗説が英語教育界をしきっています(これは、たぶん、昔の乾布摩擦とかラジオ体操と同じで文化だと思います。やれば誰でもできるので、教育文化の一部となっているのでしょう、、、)
これをアクセントの位置といいますが、実際は文部科学省さんに電話して、「アクセントってどういう意味ですか?」と聞いても、答えてもらえません。
それが何かを曖昧にしておかないと、アクセントの位置問題が、建物のように崩れてしまうからでしょう。
このせいで、英語を普通に勉強していると、シラブル内のメロディーが聞こえなくなります。
シラブル内のメロディーを無視して英語を話すと、まるで怒っているような、冷たいような印象になってしまいます。
剣道の気合が良い例で、気合いのメロディーは平らではありません。その音は平仮名、カタカナでは表記できないような音です。
実際は、英語の発音も剣道の気合に近いように思います。
さて、大変な問題があります。
RICHMONDという単語を例にとりますと、アクセントの位置問題の存在を鵜呑みにしていると、RICHが高く聞こえます。
でも、本当に一つ一つの音を聞き、RICHをR-I-CHと全て聞くと、RICHのRIが低く聞こえます。
信じているパラダイムによって、高く聞こえる人と低く聞こえる人がいるわけです。
同じ絵を見ても、ある人には女性の横顔に見え、他の人にはグラスに見える、、、という状態ですね。