最初に自分自身は、斉藤先生の考え方と違うものを持っているということを明確に書いておきたいと思います。
斉藤先生のご意見は、保守的な英語の勉強法で頑張るのが王道ということだと思います。
私は、コミュニケーションをしっかりやったほうが良いのではないかと感じています。
さて、明治の人たちがどのように英語を勉強したかということが書いてあり、読み物として楽しいと思います。
厳密に斉藤先生の言われていることを仮説としてみていくならば、論理がやや昭和的な感じがします。
達人のかたがた、それぞれを達人だったと称する件ですが、本当に達人だったのでしょうか?
さらに、斉藤先生は、それぞれの達人が達人だったのは地味に英文を読んだからとおっしゃっています。海外留学をしていた人物も多いですが、留学していたらからではなく、地味な勉強をしたからだと斉藤先生はおっしゃっていますが、その証明は明確には述べられていませんが、それぞれの達人が、地味なことをしていたからとその地味なことに効果があったに違いないという論証方法です。留学をしてコミュニケーションを多くもったからだったかもしれません。
ただし、普通の人は、地味な練習があるからこそ技術に優れていると考えますので、斉藤さんの論証は受け入れやすいとは思います。
「数年間母語話者に会話をならったくらいで英語など不自由なく使えるようにはならない」と先生は主張されています(25ページ)。
が、意外と日本人でも英語ができる人は存在していて、そういう人たちは、意外と時間をかけずに喋れている人が多いのではないかというのが私の個人的な印象です。