大杉先生とスーザン岩本先生の企画で
というのがあります。大杉先生とスーザン先生が、会話をするという設定です。大杉先生といえば、私も高校生ぐらいのときにラジオ講座の先生ではなかったかな?お世話になりました。
大杉先生とスーザン先生の対話を聞いて思うこと。
大杉先生の英語は*かなり*よいと思う。ただ、アメリカ英語と同じような形でゲップエリアとアクビエリアの区別をしておられないという感じで、アメリカ英語との違いは分かる。スーザンさんと同じような形では、ゲップエリアとアクビエリアの区別をされておらないが、それでも、アクビエリアにはアクセスさせれていると思う。それがSYSTEMATICなのかどうか私には分かりにくいのだが、いい感じである。
単語ごとに切って喋ってらっしゃる感じがするのだが、これはスーザン先生にも移っているが、、これはそうすれば日本人に聞きやすいという配慮だろうか。単語をスムーズにつなげるのがベターだろうと思う。
英語ではあまり切らない。とはいえ、もちろん切れたらダメということじゃないよ。
最後に、話の形式で、スーザンさんが、かなり長々と喋っておられるのだが、これは東後先生のコーヒーブレークと同じだ。逆に、大杉先生が喋りだすと、スーザンさんが、非常にINTERACTIVEに言葉をはさんでいる。
これは、おそらく根本的なところで日本文化 VS スーザン先生のアメリカ、西洋文化の衝突だと思う(スーザンさんがメインに喋るという企画なのでなければ)。
スーザンさんは、おそらく、大杉先生はおとなしいなあ、、、と思いながら会話をがんがんしているのではないか。というのは、日本人は、口を閉じて、息をしずかめに、相手の話が終わるのを待つからだ。すると、スーザンさんは、どんどん、どんどん話しまくる。
本当は、大杉先生は、途中でからみたいのかもしれない。でも、おそらくNONVERBALなコミュニケーションの要素が、スーザンさんに、「大杉先生は、今、聞くモードになっているから、もっとしゃべりつづけないと」という信号を送っているのかもしれない。
普通に考えると対話的になりそうだと思うが(もちろん、そういう形式が意図されているのかもしれないが)。
そういう意味で、小林克也氏のトークなどは、根本的なレベルで(会話の絡み方など)、ネイティブと同じだった、、、という記憶があるのだが、また今度、YOUTUBEで見てみよう。
息づかい、口をだらーんとあけておくこと、、、これが西洋人との対話では大切だ。
私とジーナがこの企画をやったとしたら、文が終わるか終わらないころにどっちかが喋りだしていて、間がうまってしまうだろう。
こらー、人の話を最後まで聞けー、、、という感じになるかもしれないが、英語ではそれが普通に思える。
皆さん、これは何回も言っていることだけど、もし西洋人とのディスカッションで押されぎみになり、言いたいことも言えない状態になったら、
口をぼけーとさせて、
息を吸う音を出してほしい
すると西洋人は、
ありゃ、何かいいたがっとるんじゃないか?
と気づいて、黙って、喋らしてくれるよ。
わしんちの犬でも、わしの息の音を聞いたら、こっちむくんじゃけん。哺乳類には共通の信号じゃとおもう。
最近は日本人向けに作られた教材ではなく、ネットでCNN、NYT、WSJのニュースビデオを直接見るようにしています。
私の大学受験のあとは、教材をつかって勉強したことがありません。実際に使う+新聞や雑誌を英語で読むで対応しました。