さて、日本人が英語を聞けない理由は、シラブルの存在を知らずに、たらたらと勉強しているからであるが、それではなぜシラブルを存在を知ったとしても、聞けないのか????
なぜ、聞けるようになると、あまりに明らかなシラブルのリズム、ボンボンボンという感じのリズムが聞けないのか、、、
に唖然としていたのだが、それは、それぞれのボンの時間的感覚が違うということがある、、、
にしても、それにしてもですよ、どう聞いたって、分かるでしょうが、、、と思っていたが、やはりそれは、日本人が、英語にも伸ばす音とか、小さいッがあると思って聞いているからではないかという結論にたどり着いた。
機関銃英語にはすでに書いてある。しかし、書いてあっても、あまりにも喉発音とシラブルの問題は、根源的すぎて、言われるまでわかりにくい。逆に、日本人以外の外国人にとっては、シラブルを教える必要性すらないほどだ。
さて、小さいッだが、舌がちょうど、喉のほうからでてくる息・音を遮断することで、小さいッが生まれているようだ。ちなみに、極端にやるならば、ちょうど舌の前のほうがカップのようになって、口のなかを遮断してしまう。
あまり意識せずにやっても、舌の奥のほうが、ぴたっと喉からの息・音を遮断する。
その瞬間に音がない状態がうまれる。それが、小さなッだ。小さなッは、ないのである。
そもそも日本語は、短い音からなっており、英語喉をやってから日本語を聞くと、音が切れているのがわかる。韓国語にさえないような音の切れ方である。
その極端なのが小さなッだ。
喉発音でやると、喉とか口がだらんとしているので、日本語の小さなッがうまく出せないことに気づく。舌や、舌の奥が、がんばって、ぴたっと息・音を遮断することがないのが英語だ。だから、日本語のッがうまくいかない。
さて、英語を聞くときには、英語には小さなッがないと言い聞かせて英語を聞かないと、本当の音が聞けない。小さなッと思い込んでいるところには、英語特有の音と音がつながるところの音が鳴っている。それを無視してはいけない。これは、田地さんが言っていた(昨日の氏の動画を参考に)。
さて、音声で説明。
昨日、英語喉初心者さんが、コメントを残してくれているが、とても大切なので読んでおいてください。小さいッが英語にないんだと念じて英語を聞いたら、すんなり聞けたそうです。
それにしても従来の方法をやればやるほど、口が活躍し、音が切れ切れになってしまう。英語喉の方法は、他の方法とまぜないのが大切だ。
カズ先生、今日の内容から、新たな発見がありました。
確かに、日本語の「ッ」の音は、喉の奥を一瞬でも閉じなければ言えませんね。
英語の発音では、「p, t, k, b, d, g」のいわゆる破裂音と言われる子音は、喉の中へ飲み込まれてしまって聞こえなくなる場合が多いと、昔から日本では言われていました。
特に、t, d の2音は、英語の中で最も嫌われ者であり、ネイティブ発音ではほとんどの場合、口の形だけをして(歯茎に舌先を付けて)言わないと説明されてきたようですね。
特に、フラッピングと言われる現象(water の後半をラーのように言うなど)のt, d を口の中で破裂させずに日本語のラ行のように言うということは、日本人の誤解だったのでしょうね。実際にラ行に近く聞こえますが、口と喉の中をダラーンとさせて言えば、自然にそんな感じの音になりますね。
結論ですが、そもそも、「p, t, k, b, d, g」の子音が破裂音だということ自体が、もともと間違いだったのではないでしょうか?
英語には、口の中で破裂させる音は、もともと無いのではないですか? 日本人の英語研究者が、勝手に誤解していたのではないでしょうか?
「喉の中へ飲み込まれる」という考えも、何か変じゃないかな。
カズ先生のご意見を、お聞かせください。
アキさん、私の考えでは、破裂音という概念はもともとは、「破裂」を調音のメカニズムとする音ですよ、ということだったと思います。
調音とは、口のほうで、喉の音に最終的な調整を加えるという感じであり、それは、子音のみに存在します。
音声学では、POINT OF ARTICULATIONといい、あくまでもARTICULATEするための調整という感じです。決して、発音するとか、それをするからその発音となるとか、いうことではありません。
西洋の音声学者が、口のなかの最終調整をするメカニズム、プロセスというのが、音の分類に便利だと思って、そういう概念をつくったのでしょう。
ところが、これらの概念が日本に紹介されるときに、なぜか、意味が変わってしまいました。
破裂音=(おもいっきり?)破裂させることででる音、、、という風に解釈がついてしまったのが不幸の始まりだと思います。
実際は、喉の音が主なのですが、それの最終調整として、「破裂」と呼ばれるプロセスがあるということだと思います。
ただし、それは、おもいっきり破裂させるという意味ではありません。
言語学者の盲点は、英語を研究するならば、そもそも英語ができないと無理だということに気づかない点です。
例えばですが、舌を動かしたところで音が変わらないのだということを私が、言語学者に言ったことがあります。その言語学者は、とても有名な言語学者でした。アメリカで教えているかたで、もちろん論文もたくさんあります。
しかし、彼はこう言いました。やはり音が変わると。
それは彼自身がとても英語が不自由なために、音が変わったとき、それが、英語の本質的な意味で音が変わったかどうかが判断できないのです。
あ~といいながら舌をぐるぐるやると当然、舌の位置によって、音がたんにこもることもあるでしょう。
しかし、そのこもりは、弁別的要素ではありません。
しかし、英語がそもそもできない、聞けない状態では、弁別的要素の意味がわからない。だから、音が変わったと思ってしまうわけです。
喉の中へ飲み込まれるという感覚は、気持ちは分かるという感じですね。