最近、同志社のESS関係の後輩(?)から喉相談を受けたりして、思い出したことがある。
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先日、1988年ごろ、同志社で知り合い、よくつるんでいたアメリカ人と、久しぶりに電話で話をした。久しぶりといっても、20年ぶりぐらいだ。彼は、当時発足したJETの第1期で日本に帰ってきたと思うので、日本との付き合いも長い。
さて、彼が鮮明に覚えているといったことがある。それは、彼と彼の友人達(アメリカ人)が同志社にやってきて、初めて私と喋ったときのことだ。それは生協のところだった。私は彼ら5人ぐらいと話をした。それが最初の出会いだった。
さて、彼が先週言うには、あの最初の会話のあと、皆とこう話をしたというのだ。
「ああ、英語のできる日本人がいて、よかったぜ」
みたいな。
その話を聞いて、ちょっと意外だったが、よく考えると府に落ちる。
意外だったというのは、私は当時の感覚では、日本に日本語を勉強しにきているアメリカ人に英語で話をするのは、ちょっと失礼なのかなとか、あるいは、あまりに外国人との交流を推し進めるのは、外国人の金魚の糞のようで、恥ずかしいことなのかな?という感覚があった。
しかし、そうではないのである。
日本には、あまりに英語のできる人がいないために、私が英語ができるということで、ものすごくうれしかったということなのだ。
その後、というか、最近、分かってきたのは、アメリカ人が日本の大学などに留学して、やや不満に感じるのは、日本人との会話が、「はしの使い方がうまいですねえ」とか、「寿司がすきですか」より上のレベルに行かないということらしい。
それを考えると、20年以上前に、アメリカ人が私にあって、英語でなんでも言えるという人を見つけて、喜んだというエピソードは納得できる。
そりゃ、お前ら日本語勉強して、日本人と日本語喋れというのは、確かに正論だが、、、
そういえば、帰り際にカードをくれて、感謝をしていたアメリカ人の留学生がいた。え、なんで、ここまで感謝してくれるんだろうと当時は分からなかった。
とまで書いて、時間ぎれになったので、また後日書くことにする。
とにかく、ポイントはこれだ。
喉実践者よ。
日本に住んでいる留学生などと喋って英語を勉強しよう、、、ということ。
いや、勉強のために使うという感覚がいやかもしれないが、そんなこと心配せんでも、喉で喋って、自然にまかせればよい。
遠慮しないように。
アドリブ英語で今日のトピックについて喋ってみました。 音声はここ。 www.estat.us/blog/foreign.mp3